【団塊ひとり】安倍首相談話 戦後70年 戦前の日本と戦後の中国

 中国が戦後70周年に向けての安倍首相談話を牽制している。またその意向を受けた一部の新聞社も、盛んに政府攻撃を強めている。

 中国のような全体主義国家について70年という期間は象徴的だ。共産主義の本家ソビエトの社会体制が、ほぼ70年で崩壊しているからである。いずれも外の世界の思想が閉鎖社会体制の内部崩壊を早めている。特にネットが発達し、ある程度国家間の往来が自由になった現在では、いくら情報を支配しようとしても限界がある。中国は崩壊することはないとしても、共産党の独裁体制に変化が生じる可能性は高い。中国にもゴルバチョフは存在している可能性がある。

 中国政府は自分たちの正統性を主張するために、いままで以上の反日宣伝活動を強めると思われる。が、その主張の多くは過去の日本のあり方に集中し、戦後の日本に全く触れないといういびつなものだ。過去を正視し、その反省をすることは重要だが、それは日本だけが背負わされた責務ではない。中国も同時に過去に誠実に向き合う必要がある。過去を利用し、日本の未来を封殺し自己の勢力を広げようとする中国の侵略的な態度は、とうてい認めることは出来ない。

 戦後70年の式典で中国が必ず出すであろういわゆる「南京虐殺」の問題。「虐殺」期間は東京裁判では約6週間、その他4ヶ月説など、期間に対しても「定説」はない。が、仮に4ヶ月としたら、その長い間共産党の軍隊は何をしていたのか。なぜ「虐殺」を放置していたのか。その理由を中国人民にどのように説明しているのか。まさか逃げ回っていたのだろうか。

 「事実」は一つでも「解釈」はさまざまだ。日本のアジアへの「進出」が植民地からの独立を促したことは事実であっても、その解釈はイデオロギーに左右されるから、安倍談話では下手な弁解をすべきではない。むしろ「過去の反省」のもとに、未だにチベットウイグルを「占領」している中国に「日本のまね」をすべきではないと諭すことだ。

 また、原爆投下や一般市民に対する無差別爆撃という「平和への罪」「人類の罪」を犯したアメリカが、自己の行為を正当化するために日本を悪逆非道の国民と主張する可能性もある。そして、中国に荷担して、南京で民間人を「虐殺」したと日本を責める可能性もある。すでにブラッドピットの妻であるジョイナーは日本人がアメリカ人捕虜の人肉を食っていたとする映画を中国に売り込んでいる。が、彼女はアメリカ軍が日本人の頭骨をアクセサリーにしていたことは不問である。

 が、過去の日本軍の「蛮行」はそれが真実であれば認める勇気がいる。が、それを今更なぜ、という気持ちは残る。アメリカ人がそれを言うなら、イラクアフガニスタンなどで「誤爆」で民間人を大量に「虐殺」している行為と、どう違うのかジョイナーは説明すべきだ。もし「東京裁判方式」で現在のアメリカや中国やロシアの戦闘行為を裁けば、多くの軍人が犯罪の対象になるはずだ。

 ベトナム戦争ではアメリカ軍は一人でも「ベトコン」が発見されると報復として、一村すべてを破壊した。これはイラクでも同じだ。たった一人の敵のために、数百人の無実の人間が殺され家を追われる。これは犯罪ではないのか。

 3月16日は、1968年にアメリカ軍がベトナムで非武装のソンミ村の住民504人を虐殺した日だ。
被害者の中には妊婦や乳幼児が含まれていた。さらに付近の村でも大量の殺戮が行われていた。
ところが実行者14人は一人が終身刑になっただけで、後は無罪になっている。その終身刑の軍人もしばらくして釈放されている。「東京裁判」方式の「「裁判」ならありえないことだ。

 南京事件に対する審判では、第6師団長谷寿夫、中支那方面軍司令官松井石根、その他が死刑を宣告されている。ソンミ村裁判と比べて明らかに公平を欠く裁断だ。が、今それを主張すると「歴史修正主義」と糾弾されるのだろう。

 中国やロシアと違って、アメリカは侵略を防ぐ「正義」の戦争をしていると主張する。が、かつての友人タリバンがいまや反米の急先鋒だ。なぜアメリカは嫌われるのか。先日テロリストに殺害された後藤健二氏の著書にその答えがあるように思われる。

 後藤氏はアメリカ軍の「誤爆」によって息子を殺された母親に質問している。

誤爆をしたアメリカを恨んでいますか?」

 母親は答える。「誰にも文句を言うつもりはありません。アメリカに対しても、誰にも・・・・ただ、アメリカにはわたしたちを助けてほしい。わたしの息子はまちがって落とされた爆弾で殺されたんです。そのことを認めてわたしたちを助けないというのなら、わたしはけっして彼らを許しません!・・・・」(「もしも学校に行けたなら」より)

 彼女が受けた補償は日本円でわずか700円だった。世界一の金持ち国の補償としてあまりにも少ないではないか。もしこれがアメリカ国内での「事故」であったなら、数億の補償でも被害者は納得しないだろう。

 後藤氏は事実を記しただけだが、アメリカがなぜ嫌われるか、どのような国なのか、その理由がよくわかる文章だったと思う。

 安倍首相談話は、過去だけではなく現在と未来を踏まえたものであってほしい。そして「侵略」を経験した「先輩」として、侵略的な中国に忠告と助言を与えてほしい。

【団塊ひとり】アジアの「戦勝国」は、歴史の基本を学び直す必要がある。

 中国の国防費が公式発表だけで日本の3倍を超えた。さすがの朝日新聞さえも昨日の社説で「世界を脅かすような無謀な軍事大国化の道を歩むべきではない」と、釘を刺さねばならないほどだ。秘密大国中国だから、実際の国防費はさらに膨らんでいることだろう。なぜ中国は軍事大国を目指すのか。

 答えは一つしかない。中華帝国再建を目指すための拡大政策の実施が原因だ。つまり侵略だ。防御の域を遙かに超えた中国の軍事力増大は、かつてのナチスの躍進を連想させる。だが当時の欧州の指導者の多くはナチスの危険性を理解せず、イギリスの首相 Arthur Neville Chamberlain などはナチスに対して、宥和政策を実行しナチスの横暴を黙認した。

 歴史に「if」は存在しない。が、あのとききちんと対応しておけば、少なくとも歴史は違った発展を遂げていたのではないかと思うことがある。その点でチェンバレンの行動を反省することは必要だ。

 現代の日本でチェンバレン(Chamberlain)を想起させる無能な、というより危険な政治家は誰だろう。まず浮かぶのは民主党の元首相鳩山であり、小沢一郎であり、与党では二階自由民主党総務会長だ。慰安婦問題があれほどよじれたのも、単に朝日新聞の一記者や朝日新聞の思想構造の問題だけではない。日本の政治家の責任も大きい。慰安婦問題は単なる「誤報」ではなく、国家的な政治工作の一環だ。

 かつて社民党の女性議員が仕掛けた慰安婦問題の解決が未だに進まないのは、これを追求してゆくと野党だけではなく与党の一部議員の責任問題にまで至るからではないか。では、マスコミの記者たちはなぜそれを追求しないのか。金を受け取っているものがいるとは信じたくないが。

 さて、今年は戦後70年。中国や韓国・北朝鮮が自分たちこそ正統と鼻息が荒い。が、彼らの「歴史認識」はことごとく欠陥がある。特に戦勝国であるという「自己認識」に至っては、荒唐無稽であること甚だしい。基本的に韓国や北朝鮮が日本に併合されていた事実は抹消できない。

 韓国併合時は、現韓国の大統領のパククネの父親は高木正男という「日本人」だった。日本国に組み込まれ、「日本人」になった「民族」がどうして日本国に対して戦勝国を主張できるのか。また、中華人民共和国の成立は1949年だ。1945年に敗戦国になった日本に対して、戦勝国を主張できるのは、まだ台湾こそふさわしい。中国や南北朝鮮はまず基本的な歴史を学び直すところから始めるべきだ。

【団塊ひとり】チャップリンの映画「独裁者」とSF映画「アイアン・スカイ」

 米SFドラマ「スター・トレック」で耳がとがった「ミスター・スポック」を演じた米国の俳優レナード・ニモイさんが死去した。地球人とのハーフであり、それゆえ人間的な感情を否定しようとする異星人の役割だったが、私は逆にそのことが妙に人間くさくて好きだった。若い頃は深夜に放送されていたTVシリーズを、電気を消して暗くして鑑賞していて、それがさらに作品の世界に不思議な現実感を与えていたような気がしている。冥福を祈ります。

 高齢になると、頻尿になって困る。寝床について起きるまでに、一度はWCに通う日が当たり前になってきた。今朝も朝の3時過ぎに、WCのために起きてしまった。その後、何気なくつけたTVで見た「アイアン・スカイ」という番組が面白かった。「2012年2月11日より第62回ベルリン国際映画祭で初公開され、2012年4月4日にフィンランドで劇場公開、日本では2012年9月28日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他で劇場公開された。」とウィキペディアの説明にある。映画のことは全く知らなかった。1945年のドイツ崩壊で滅亡したはずのナチスが月の裏面に移住し、再び地球征服を狙うという荒唐無稽な内容だ。すぐに寝るつもりだったが面白く結局最後まで見てしまった。

 月世界で繰り広げられるナチス「第4帝国」の洗脳授業では、なんとチャップリンの「独裁者」が教材として使用されていた。が、それは「ナチス」に都合のよい部分を10分ほどにまとめ上げた作品だった。月世界に生きる「第4帝国」の世界では「第3帝国」に対する反ナチス映画も、ナチスのプロバガンダとして使用される、「愛」を主張する映画として若者の宣伝に利用されるという発想が秀抜だ。

 映画「独裁者」を「愛」を主張する短編と信じ込んでいた女性教官が、「密入国?」した地球でオリジナルを見て衝撃を受ける場面がなんとも象徴的だった。変なプロバガンダより強いメッセージになっている。狭い範囲で信じられていた偏った思想や「事実」が外の世界で相対化され、より真実に目覚めてゆく好例だ。

 「第4帝国」が地球侵略を開始する契機がまた面白い。月世界に降り立ったアメリカの宇宙飛行士が持っていたスマホの優れたPC能力が、「ナチス」の最終兵器の完成に役立ったという設定だ。

 さらに抱腹絶倒なのが、国際会議における北朝鮮の発言だ。突然現れ地球を攻撃する「ナチス」のUFO型戦闘機を、あれはすべて北朝鮮のオリジナルで・・と北朝鮮代表が得意げに語り始め、国際会議の出席者が全員で笑い転げる場面では、眠気がすっかり飛んでしまった。B級のコメディ映画と思っていたがお笑い映画も馬鹿に出来ない。遠い極東の小国の動向を、欧米人は冷静に判断していたことがわかった。

 北朝鮮は最近のハリウッド映画「ザ・インタビュー」にも描かれ、「日本沈没」のB級パロディ「日本以外皆沈没」でも、大活躍している。発言や行動の面白さでは、北朝鮮はコメディの宝庫だ。世界の空気を読めない小国韓国も、コメディセンスでは北朝鮮の足下にも及ばない。

 映画の世界では日本もすでに立派な軍事大国だ。「アイアン・スカイ」でもアメリカや中国と同様に、国連協定を破り密かに宇宙軍を保持していて、侵略するナチスUFO と戦闘する。韓国映画ユリョン」では、海上自衛隊には原子力潜水艦が存在することになっている。民度の低い国の国民が見たら、きっと信用するだろう。

 戦前の日本帝国の軍隊では、開明的な海軍より陸軍の方が古参兵の暴力が過酷であったと思いがちだが、実際は海軍の方が徹底していたと聞いたことがある。陸軍では戦闘のさなかに、後方の味方から撃たれる危険が発生するが、海軍ではそれがないからだ。だから、絶対に手出しをしない、出来ないと悟られると逆に危険が増大する。

 戦後の中国はまるで戦前の日本のように「侵略的」だ。「アイアン・スカイ」では、単にナチスを滑稽に描くだけではなく、アメリカをはじめとする自由主義陣営とナチスとの境界が意外に近いものとして描かれている。戦後アメリカの好戦性はナチスのそれに劣るものではない。映画を見ていると「ナチス第4帝国」がいつかしかアメリカと重なってくる。「アイアン・スカイ」の制作国は、フィンランド・ドイツ・オーストラリアだ。少し納得する。

 ならば、日本映画もドイツ映画界の勇気にならって帝国陸・海軍や軍人を「喜劇的」に描く映画を作ってみたらどうか。そのときは関東軍の思想が人民解放軍に、満州国建国の精神がチベット自治区」の創設に生かされているという描き方が必要だ。共産党指導者が日本軍の組織や戦術を学習していたことは全く荒唐無稽の話ではないからだ。ある意味で戦前の日本軍部の動きは戦後中国にとって、一種の「鏡」のような働きをしている。


 戦後中国が夢見る「中華帝国の再興」も「アーリア人の帝国」を夢見た、ナチスと似ていなくもない。もっとも人民解放軍関東軍のコピーだと言えば日中双方から批判される危険は存在するだろうが。

【団塊ひとり】韓国は日本の「町内会」の一員ではない。

 読売新聞が自民党の総務会長二階俊博氏の特集を組んでいる。二階氏は韓国に大量の交流団を引き連れ、さらに5月の訪中時には、3000人の大交流団を率いる予定らしい。「交流」を機に落ちぶれていった古いタイプの自民型政治家である小沢一郎の轍を踏まなければよいが。いまや小沢氏は完全に過去の人となり、彼とともに中国に「朝貢」に行った数百人の「政治家」はほとんど残ってはいない。

 二階氏は「日韓は「近所の町内会」もっと話し合おう」と語ったらしい。アナクロニズムであり、日韓の歴史にあまりにも無理解である。従軍慰安婦問題でも朴大統領の発言に、『その通りだ』と応じた。このような迎合的な態度が日韓関係をここまでこじらせたことに対する反省もない。

 学校では昔は日本と朝鮮は互いに友好国だったが、明治以後の近代日本になってから朝鮮蔑視が始まったように説いているが、誤りだ。日本が倭国と呼ばれ、百済新羅の時代から日本人は半島の国と様々な争いを繰り返してきた。それは日本側の一方的な侵略ではなく、半島からの侵略も多かったことが歴史に記されている。それは「近所の町内会」程度の軽いいざこざではない。現代の韓国人も日韓併合時代を、日本にとっては町内会のようなものだと言ったら韓国人は怒るだろう。

 二階氏は中国や韓国は同文同種とか、日本にとって町内会の一員と、高所に立った勝手な見方がどれほど中韓をいらだたせているか、理解出来ないようだ。いくら表面的には似たようにみえても、日本人と中国人・韓国人との間には大きな垣根が存在する。両者が真の「友好」を存在させることは、不可能と断定は出来ないにしても至難の業である。

 安倍首相が長老支配から脱し、自民党を近代的な政党に脱皮させようと思えば、二階氏のような古いタイプの政治家を切る勇気がいる。今どき、小沢一郎のように大人数を率いて朝貢のような外交を実行しようとする政治家の古さは、相手に誤ったシグナルを送る日本にとってきわめて危険な存在だ。

一部新聞報道によると韓国の平昌冬季五輪が、いろいろな点で「準備停滞」状態になっているそうだ。もっとも新聞は大げさに書く。が、もし、本当だとしたら、同じDNAを持つ、同族の北朝鮮に援助を求めるべきだろう。日本は1円たりとも援助すべきでないことは当然だ。

 もし「友好」の名の下に韓国に援助を申し出る政治家がいたら、その人間は韓国と通じている信用できない人間だ。まともな日本の政治家なら、そのような破廉恥なことはしない。

【団塊ひとり】日本国憲法と「猿の惑星」のザイアス博士

 昔「猿の惑星」という映画を見た。なぜかオランウータンのザイアス博士の存在が忘れられない。彼は自分たちが信じてきた歴史観や世界観が根本的に覆ることを恐れ、新しい知識や考えを危険なものとして排斥する。彼らにとって、この世界を支配するのは「猿」であって、人間は下等で抑圧されるべき存在でしかない。彼は自分の世界観と異なる「事実」が発見されると、それを隠蔽し自分たちの歴史観を守ろうとする。彼らには、新しい知識や歴史観は危険でやっかいなだけで、絶対に認めるわけにはゆかない代物なのだ。が、このような人間は今の日本でも存在するのではないか。

 夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法に違反するかどうかが、最高裁大法廷で審理されることになった。初の憲法判断が下されることになる。アジア系の移民や帰化の増加に伴い、夫婦別姓が問題になることは予見されていたはずだ。夫婦別姓が日本社会に必要なのか否か、判断しなければいけない時代がやってきた。

 私の知人にも、事実上の夫婦別姓を実行している人が何人もいる。もっとも、私自身は、別姓にしたいとは思わない。が、歴史を少しひもといてみれば、日本も明治民法以前では必ずしも夫婦同氏であったとは言えない。ものの考え方、常識は時代とともに変化してゆくことはむしろ自然である。

 戦前ほどではないにしろ、今でも多少の「菊のカーテン」に包まれている天皇家も、万葉時代はもっとおおらかだった。「讃岐典侍日記」や「とはずがたり」を読まれた方は、そこに出てくる天皇の人間くささに思わず引き込まれてゆくに違いない。

 人間の体も内部では激しい細胞分裂が発生している。ミクロ的な次元で言えば、10分後の「人間」の「体」は、「10分前」の「体」とは違った存在だ。このように「変化」することはむしろ自然な現象と言える。

 もちろん細胞分裂という「変化」も、成長のための必然的なものと、「癌」のように人を滅亡に導くものがあるので、「変化」そのものを無条件に支持することは出来ない。

 夫婦別姓を認めることは、単なる法律の改正ではなく、憲法解釈の変更あるいは憲法一部改正につながる「変化」であり、近代以後の日本社会の構造を根本的に変える変化になる。だから、慎重な議論が必要だが、検討そのものを否定することがあってはいけない。

 いまや守旧派とでも呼ぶべき「護憲派」は憲法改正を全く認めようとしないが、70年前に制定された今の憲法が、すっかり古びてしまって所々ほころびが出ていることは事実だ。夫婦別姓だけではなく、同性の結婚、女性の再婚規定など多くの法律の規定が現状に合わなくなってきている。

 夫婦別姓を認めないのは時代遅れとして批判する民主党などが、時代遅れの憲法9条に関しては、改正を検討することすら認めない姿勢を示すことがわからない。むしろ積極的に国民の議論を喚起させ、その結果を踏まえて自説を主張すればいいのにと思ってしまう。

 憲法改正自体は憲法そのものが認める国民の権利である。私は、時代に合った変化を考慮せず、検討そのものを否定する民主党をはじめとする野党が理解できない。政治的主張を優先して、憲法の精神を踏みにじっているように思われるからだ。

 夫婦別姓も同性同士の結婚も、女性の再婚規定も、それを肯定するか反対するかは別にしても、いろいろな「不都合」が発生している以上、検討しなければならない問題だ。検討そのものを否定してはならない。

 私は小心者だから、日常の法律は守る方だ。が、同時に「法律」の条文はたかが紙に書いた文字に過ぎないとも思っている。「憲法」を軽視するつもりはないが、それを明治憲法のごとく、不磨の大典として、時代を超越した絶対不可侵の存在としてありがたがる気持ちもない。

 もし「紙切れに書かれた文字」が人々に不利益を与えることが判明した時点で、法律は変更を「検討」されるべきだ。日本人は、変化をすべて否定しようとした「猿の惑星」のザイアス博士になってはいけない。

【団塊ひとり】東京マラソンの成功、そして与那国住民投票で陸自配備賛成という結果

 東京マラソンが無事終了した。ムハンマドの風刺画を掲載した出版社や書店などに対するテロもなかった。 かつて「悪魔の詩」を翻訳した大学教授が、なすすべもなく日本の大学構内で殺害された事実もある。欧米では「悪魔の詩」を翻訳した人間を、国家全体が守ろうとした。が、その欧州でもテロ被害に遭った。

 ISILなどのテロ集団から見れば、自分たちのプロバガンダ映像を垂れ流してくれ、世界も注目する日本で活動することは、勢力を世界に誇示できる絶好の機会になる。テロの発生を心配したが、幸い今回は杞憂に終わった。むやみに恐れる必要はないかもしれないが、日本だけは大丈夫、日本人は襲われないという時代が過ぎてしまったことは意識しなければならない。

 東京マラソンばかりに目が行くが、実は南の島「与那国島」で重要な住民投票が行われた。「自衛隊基地建設」の民意を問う住民投票だ。投票結果に法的拘束力がないとはいえ、今回の住民投票では、永住外国人も含む中学生以上の町民が投票資格を有する。

 国防という重要な政策決定に、「外国人」が関与することは大きな問題であり、その投票行動と「憲法」および国防との関連は厳しく論じねばならないだろう。単なる地方都市の問題と片付けることは出来ない。

 敗戦直後の1949年、与那国町長選挙では与那国の帰属が争点になった。3人の立候補者の一人は日本帰属論、一人は琉球独立論、もう一人は台湾帰属論を展開した。その結果日本帰属論者が選ばれ現在に至っている。(後藤明著「海から見た日本人」講談社より)

 与那国島の歴史は複雑だ。与那国島は16世紀に「琉球王朝」の支配下に組み込まれるまで「独立国」であった。やがて、その琉球が薩摩の支配下に入る。そして、1879年の琉球処分と共に与那国島も近代日本に帰属することになった。与那国島や沖縄を論じるとき、「日本人」は島民の持つ複雑な感情を理解できているのだろうか。

 「琉球処分」から1世紀を過ぎたのに、今でもその不当性を訴え、琉球独立を求める勢力がいる。主観を排すれば、「沖縄」の立場はアメリカの「ハワイ」と似ている。かつての「独立国家」ハワイも武力によってアメリカに編入され、アメリカの州となった島だ。

 当時、アメリカ軍侵攻の危険を感じたハワイのカメハメハ王朝が、明治政府に援助を求めたことは有名だ。近代化が始まったばかりの日本にはその力はなく、申し出は受けることが出来なかった。もし、明治政府に圧倒的な軍事力があり、ハワイを守っていたらハワイがアメリカ領になることはなかったかもしれない。

 歴史は理不尽だ。結局、武力のないものは制圧され独立を奪われる。が、いま「ハワイ独立」を主張する日本人はいない。しかし、日本では明らかなアナクロリズムにすぎない、与那国島や沖縄の独立を説く人間がいる。が、その根底にあるのは中国の意向だ。彼らの頭の中にあるのは「琉球独立=中国編入」という図式だ。信用が出来ない。

さて、与那国住民投票は即日開票の結果、「賛成」が632票で「反対」の445票を上回った。結局陸自配備賛成が多数で終わった。「順調にいけば、日本最西端の町に2016年3月、初めて自衛隊が配備される。」(毎日新聞)「中国の反発も予想される」(毎日新聞)だろうが、中国の軍備増強などの現実を踏まえた日本人の、健全な選挙結果としてこれを歓迎したい。

【団塊ひとり】「イスラム国事件」「人生そのもの否定された」「逮捕されたら旅券没収される」旅券返納の杉本さんが会見

 外務省から旅券返納命令を受けた自称「フリーカメラマン」、杉本祐一氏が「報道の自由、取材の自由が奪われ、私の人生そのものを否定された」と述べているらしい。

【引用】・・イスラムスンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害事件を受け、シリアに取材目的で渡航を計画し、外務省から旅券返納命令を受けたフリーカメラマン、杉本祐一さん(58)=新潟市=が12日、東京都千代田区の日本外国特派員協会で記者会見した。杉本さんは「パスポートの強制返納という事態に直面し、ショックを受けている。フリーカメラマンという仕事を失い、私の人生そのものを否定された」と話し、パスポートの返還を求めて異議申し立てを含む法的措置をとることを明らかにした。(中略)杉本さんは、トルコ経由でシリアに入国し、クルド人の難民キャンプなどを取材する予定だったが、外務省は同事件を踏まえ、イスラム国の支配地域があるシリアへの渡航自粛を要請。杉本さんが応じなかったことから、旅券法の生命保護規定に基づき、旅券の返納を命令し、事実上の渡航を禁止していた。(毎日新聞

 いくら時間がかかっても、すべてを捨てるようなことになっても、信念に基づいて訴訟で争うべきだろう。また、どうしてもシリアに行きたければ、今の時代は旅券がなくても国外に出ることは出来る。北朝鮮の「拉致」に象徴されるように非合法な方法があるからだ。情熱があれば、逮捕を恐れず信念を貫くべきだ。あなたに「共感」(利用)し、あなたを国外に脱出させる政治的な組織はいくらでもある。

 イギリスのジャーナリストがISILの広報ビデオに協力している。マスコミは「強制」されているように報道しているが、ともに拉致された同僚は、すでに殺害されている。ISILの言うことを聞かなかったからだ。生命をかけてテロに屈しなかった点で同僚は立派ではないか。

 最後にはISILの広報員に成り下がったように見える後藤氏も本心はどうだったのだろう。協力すれば殺害は免れると思ったのだろうか。その生への希望を踏みにじるのがテロリスト集団だ。後藤氏の発言は「強制」されたものだったことは、彼が殺害されたことで「証明」された。痛ましいことだ。

 後藤氏の教訓をもとに、いま政府が禁じる危険地域に行こうとする「ジャーナリスト」の本心は何か。真実の追究?スクープ?義務感?金銭的な欲望?名誉欲?売名?それともテロリスト集団に参加するため?それとも政府を追い詰めるため?

 本当に真実を世界に伝えたいのなら、日本政府の支援を当てにしないで密航すればよい。どうせトルコからシリアに入るは密航しか方法がない。「真のジャーナリスト」なら、国をあてにしないで無国籍者になっても、いくらでも行動できるはずだ。

 政府が旅券の返納を命令したのは、「イスラム国」(ISIL)の支配地域があるシリアへの渡航が、事実上密航以外に方法がないからだ。「日本国」のパスポートを使って違法行為を公言するものを、許すわけには行かない。これは「報道の自由」とか「取材の自由」という高尚な次元の問題ではない。とりあえず中国やロシアという国に出国することにして、そこから密航するという知恵は働かなかったのだろうか。あまりにも「正攻法」すぎ、あまりにも稚拙な方法だ。
 
 かつてベトナム戦争に反対するベ平連という団体が存在した。それは左翼を中心とした団体だったが、右翼の一部も取り込んだ不思議な団体だった。しかし、やがて一部の構成員は、ソビエト連邦工作員からの金銭的支援を受けてベトナム戦争を忌避するアメリカ軍の「良心的脱走兵」の逃走支援を実施した。もちろん違法行為だが、北海道や与那国島に行けば、いまでもいくらでも密航の方法はあるだろう。

 ただテロリストは、ジャーナリストをまずスパイとみなすだろう。これは戦前も同じで、昭和13年女優岡田嘉子共産国ソビエトに駆け落ちした共産党員の杉本良吉(本名は吉田好正)は、亡命を受け入れられずスパイとして銃殺された。全体主義国家やテロ集団は、本人が自称する「肩書き」をいっさい信じない。

 朝日新聞社記者であり、ソビエトのスパイでもあった尾崎秀実から、国家情報を得てソビエトに流していたゾルゲの肩書きはドイツの『フランクフルター・ツァイトゥング』の東京特派員であり、さらにナチス党員というお墨付きまであった。

 半世紀前に授業で習った、丸山真男の「であることとすること」が思い出される。彼は日教組の圧倒的な支持を受けてはいたが、全共闘の学生などから、腐敗と欺瞞に満ちた「戦後民主主義」の象徴として激しく糾弾された存在だ。

 今の私とは違って、学生時代の私は「であることとすること」で描かれた考えに大きな影響を受けていた。いま、その論法を「皮相的」に借用するならば、職業として「ジャーナリストである」ことは、「真のジャーナリスト」であることを保証しない。

 この混沌とした変化の時代に「真のジャーナリスト」を見つけることは難しい。強制された環境で、なおも自己を失わず抵抗することはもっと難しい。最後は不本意にも、テロリストに迎合する発言を残さざるを得なかった後藤氏。だからこそ危険地域に密航したり、自己を過信して状況を楽観的に判断することは避けなければならない。テロリスト集団が日本および日本人に対してすでに「宣戦布告」をしたと言うことを、もっと重く受け止めねばならない。彼らには日本の左翼も右翼も関係ないのだから。
違いますか、みずほさん。