【団塊ひとり】歴史的な住民投票 大阪都構想を巡る抗争の意義 

大阪都構想」の結果が出た。予想以上の僅差だった。大阪維新の党という一地方政党が、日本国の与党である自民党の一部・公明党および野党の民主党共産党などの与野党連合を相手に「大坂の陣」で、対等に戦ったという事実は大きなものがある。もう少し組織や戦略を固めていれば勝っていたかもしれない戦いだった。

 「敗戦後」橋下氏は、自分は「ワンポイントリリーフ。権力なんて使い捨てでいいし、敵をつくる政治家が世の中にずっといるのは害だ。それが健全な民主主義というものです」という言葉を残し「引退」を表明した。

 いい意味でも悪い意味でも橋下氏らしい言葉と行動だ。計算はあるのだろうが、後先考えず突進する。およそ政治家らしくない野放図さが長所でもあり短所でもあった。あえて不必要に敵を作らなくてもいいのにとか、もう少し考えて発言すればいいのにと何度思ったことか。いい意味で政治家らしくなかった。毀誉褒貶、評価は様々に分かれるだろうが、既成政治家には無い行動力と「無私」性が感じられた。下品で粗暴で歯に衣着せない発言。が、そのような政治家で無ければ今の泥沼化した大阪の疲弊・衰退を止められないと思う有権者の強い期待が橋下氏を支えていたはずだ。

 橋下氏の「敗因」は大阪人の保守性を甘く見たことだろう。特に、既得権益を失うことを恐れる大阪の高齢者の多くは、体制をぶっ壊すと脅かす橋下氏に拒否反応を示した。ある地方で保育所建設に反対したのは、現状の環境「改悪」をいやがる高齢者たちだ。当事者間にしかわからないことがあるかもしれないが、若い世代はますます子育てに慎重になるだろう。その結果、女子の就業率は減少し、子どもを産まなくなり少子化はとまらなくなり、その地域は活力を失うだろう。そして、この姿勢を目の当たりに見た反維新連合は、もう老人に反対する政策は打ち出せない。その結果、大阪の保守化はいっそう進むだろう。同時に東京一極化を防ぐための受け皿としての役割は、名古屋や神奈川などに奪われてしまうだろう。従来の政策を推し進めてゆく限り大阪の地盤沈下はとまらない。

 老人を大切にするのは当然だが、その結果改革を恐れるようであってはいけない。このままでは大阪は、ますます老人が支配する町になり、若者は大阪を離れ有力な企業は東京に地盤を移すだろう。大阪の芸人ですら東京に本拠を移している現状だ。大阪人の「弱者」に優しい側面は同時に大阪の弱点にもなっている。「生活保護受給者」の一部は、大阪の黒社会に取り込まれ大きな税金支出の負担になっている。どれほど「理想」的に見える政策も、それを支える経済的基盤が存在しなければ、借金を積み重ね、未来世代に負担を増すばかりだ。若者世代の多くが橋下氏に賛同したのも当然と言える。

 橋下氏の支持者は圧倒的に若者が多い。が、彼らは口ばかりで選挙に消極的だ。反対に大阪市が消滅すれば職を失う議員を中心に、反対活動は熾烈だった。利権が複雑に絡み合った大阪では、利権を守る運動も盛んだった。それでも彼らは橋下氏に圧勝できなかった。この事実は大きい。

 自民党公明党民主党共産党という、明らかに異なった政策・思想を持つ野合集団である反維新連合は、「共通の敵」を失った後どう動くのだろう。自分たちを支持してくれた「選挙民」の利益だけを追求するのだろうか。それとも別の形で大阪市の「改革」に取り組むのだろうか。

 橋下氏の引退表明で大きな衝撃を受けてるはずの[維新」は誰が引き継ぐのだろう。維新の党も解党してばらばらになり、他党に吸収されるのだろうか。大阪都構想は頓挫したとしても、二重行政がもたらす弊害は除去されねばならない。一見、東京に追随するだけに見えた大阪都構想も、その活動の担い手である橋下氏や維新の会は、自民党民主党共産党と比べると遙かに大阪的な政党であった。が、その地域性が逆の形で宣伝されてしまった。私は、東京都を連想させる「大阪都」というネーミングが大失敗だったと思う。

 橋下氏が引退した後の「維新の会」はどうなるのだろう。まさか、民主党に流れて鳩山政権のようなあの屈辱の時代を再現させ、大阪だけでは無く日本弱体化に協力するつもりなのだろうか。欠点がありながら今までの既成政党には出来なかった、実行力という長所を捨ててはいけない。今回の住民投票の結果だけで自分たちを全否定せず、偉大なローカル政党としてさらに発展してほしい。

 大阪都構想に反対した政党は、これから大阪の矛盾、経済的衰退、教育の劣化などにすべての責任を負わねばならない。そしてこのような結論を導き出した大阪市民も、その決断を後悔することのないように、努力してほしいと思う。大戦果に見えた真珠湾攻撃も、長い目で見ると日本崩壊の口火にすぎなかったという、反省だけはしたくないものだ。