Sekoi舛添東京都知事と平安時代のGoyoku国守(国司)


 個人的な事情で一年以上中断していたブログを再開します。よろしくお願いします。団塊ひとり


 舛添東京都知事平安時代の国守

 英語になった日本語は少なくはない。sushi、tempura、sakeはいうにおよばず、zen、yugen、bushido、samurai、kamikazeという「古典的」なものからmanga、otakukawaiiなどのサブカルチャーまで、いまや多くの日本語が英語圏で認識されている。最近はそれに「sekoi」が加わりそうである

 一六日の「時事通信」は、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)の記事を引用して、次のように述べている。

タイムズ紙は、舛添氏が「たった数ドルの漫画本」などを政治資金で購入していたと説明。同氏を「あまりにもせこ過ぎる」と批判した自民党の神林茂都議の発言を引用し、「今回のエピソードを言い表すのに最も頻繁に使われた言葉は恐らく『せこい』だろう」と指摘した。

 その上で「彼が大金を盗んだのではなく、温泉旅行のための出費で少しずつ納税者や献金した人々に損害を与えたことが(都民の)いら立ちを一層増したようだ」と論評した。
              (時事通信) 

 平安時代において東京都知事に相当する役職は何だろう。都の中央にいて、しかも中央政権から独立しながら、一部それを凌駕する権力を持つ役職を私は見つけることが出来なかった。あえて例えるなら、国守、国司、受領だろうか。が、それらはいずれも地方官である。それに対して、大きな権限を持つ東京都知事を、ただの地方官と呼ぶことは出来ない。

 国守について記した面白い本がある。

「国守はどれだけもうかったか?」

 古代日本の行政区画である「国」は全部で六六ある。それぞれの国に今の県知事に相当する「国守」(「受領」ともいう)が派遣されていた。たとえば、国名を冠して「紀伊守」と作品に出てくる登場人物はそれである。国守は、地方官にすぎないが、広大な邸が無償で提供され、その気になれば税務署・警察署・截判所』軍隊を動かせるぐらいの絶大な権限も持っていた。

 収入面も抜群である。国守は現在の金額にするといくら稼げたか。国にも「大・上・中・下」の四つに格付けがあり、それに応して実収入に差はでるが、だいたい年収一四〇〇万〜二六〇〇万円は下らなかったとの試算がある。この金額は、さまざまな物資や労働力と、お米の換算量が当時は定まっていたから、国守の収入(衣服など)を全部米に見積もり、現在の米価をかけるという方法で計算した場合の金額である。

 最低保証額の一四〇〇万円の内訳は、まず位階に応じた基本給(位田)が九〇〇万円弱、官職による管理職手当(職田)の上乗せがだいたい一八〇万円。それにボーーナス(季禄)一〇〇万円が年二回支給され、説明は省くが、この他に月料・位禄などの諸手当がつく。ちなみに、これらからは所得税は引かれない。

 この莫大な収入を求め、任官をめぐる激しい競争が行われた。国守は「除目」という任命の儀式で決まった。「除目」は、春(正月)と秋の二回で、地方官の任免は春が恒例である。「除目」が近づくと、「申文」と呼ばれる、いわゆる自己推薦文を提出する者も多くいた。提出された「申文」は、不備や嘘がないかをチェックされ、討議される。その結果、首尾よく任命されると、任地に赴き莫大な富を手にすることができたのだ。

 『枕草子』には「除目」に関する話題が複数回でてくる。「正月一日は」(三段)では、任官の口利きを得ようと必死になって宮廷を駆けずり回る老人の姿が描かれる。また、旨味のある国守に就けた者を「いかにも得意顔なことですわ」と評す章段もある(一七八段)。一方。期待も空しく国守になれなかった様子を『興ざめなもの』のひとつにあげている(二三段)。その悲壮感漂う邸の雰囲気はお通夜のようだ。国守になれるかどうかが、当時の中・下級賢族にとって、いかに切実なものであったかを伝えている。
(「誰も書かなかった清少納言と平安貴族の謎」一六九頁〜(川村裕子・著)中経出版

 以上を勘案すると現代の平均的な知事と平安時代の国守の、公的に受け取る給料の額は、それほどの開きがないようである。しかし、少しでも社会経験のある人ならば、建前と現実との間に大きな乖離があることを知っているはずだ。特に政治家は表面に出ない金を自由に扱うことが出来る。それは所属する機関が大きいほど、自由に扱える金額も膨らんで行く。それは、民主的な手続きに基づく選挙によって選ばれる現代の知事も、平安時代の国守も違いはないようである。

 六月一九日にWEBに掲載された「Jcastテレビウオッチ」というサイトがある。そこに「ワイドショー通信簿」というタイトルで、次の記事が出ていた。 

玉川徹(テレビ朝日ディレクター)の「そもそも総研たまペディア」コーナーで、東京都知事とは何者かを考えた。平たく「どれくらいエライ?」とタイトルを振ったが、数字を調べ、カメラでルポ、インタビューと並べてみると、これは相当なものだと納得だ。

「東京都の経済力」メキシコや韓国よりも上

都知事のエラさを測る物差しを玉川は「お金」「住居」「パワー」の3つとした。まずお金だが、東京都の財政・経済規模は凄い。予算が12兆838億円、GDPが91兆1390億円で、ともに国の5分の1くらいを占める。このGDPを各国のランキング(2010年)と比較すると、1位アメリカが14兆ドル台、2位の中国と3位の日本が5兆ドル台、4位のドイツが3兆ドル台と続くのだが、東京都のGDPのドル換算は1兆635億ドルで、13位のオーストラリアの次だ。14位のメキシコ、15位の韓国よりも上である。

偉いんですねえ
次に給料だ。総理大臣をはじめとする国の公務員、議員のランクをみると、1年間務めた場合の給料・ボーナス・退職金の合計は、トップが最高裁長官で約4402万円、次が総理大臣の約4030万円、衆参議長の約3532万円、最高裁判事の約3210万円、官房長官国務大臣人事院総裁会計検査院長の2939万円と続く。国会議員は約2106万円で、内閣法制局長官宮内庁長官より下である。で、都知事はどのあたりか。

玉川「どのくらいだと思いますか。知事の中ではトップです」
司会の羽鳥慎一「ダントツですか。神奈川とどれくらい違うんだろ」(大笑い)
高木美保(タレント)「国務大臣クラスじゃないかしら」
羽鳥「いや、大臣より上なんじゃないですか」
答えは総理大臣に次ぐ3番目。約3749万円だという。衆参議長より上だ。

玉川「退職金の計算が月ごとなので高くなるんです。小泉さんが5年半総理大臣をやって600万円ちょっと。東京都知事を1年やると1000万円くらいもらえる」
                       (以上「ワイドショー通信簿」より引用)

 「ワイドショー通信簿」の情報によると、東京都知事の公的に保障された収入、いわば「目に見える収入」だけでも、平安時代の国守のそれを遙かに凌駕している。更に日本の首都である東京の経済力、人口の多さから考えても、東京都知事の発言力やそれに伴う権力の大きさは、時には国の大臣を上回る。経済的規模で言えば韓国という国家を上回る力があり、これは平安時代の国守の比ではない。知事の裁量で使える「目に見えない収入」を入れると、知事の実質給与がどれほどなのか見当がつかない。

 平安時代の受領階級たちは、自分たちの権力をかさにきて、在任中はおおいに私腹を肥やしていた。『枕草子』や『源氏物語』に登場する、女性的で穏やかな貴公子像とは違って、現実の平安貴族は「悪事を働いた者が臆面もなく暮らすような、悪徳に満ちた世界」に生きていた、と繁田信一氏は『王朝貴族の悪だくみ』(柏書房)で述べている。そしてなんと、われらが清少納言の兄も、その「悪巧み」の中に巻き込まれ、殺されているのである。

 寛仁元年(一〇一七年)、清少納言の兄の清原致信は、和泉式部の夫であった藤原保昌の朗等であった。その保昌は、大和守に任命された間「不当課税・不当徴収・恐喝・詐欺・公費横領といった不正行為の数々に手を染めていた」ようだ。やがてそれに歯向かった大和国の当麻為頼に対して口封じ的な殺害を命じられたのが清原致信であった。致信の殺害は、その行為に対する復讐を受けたものであった。

 繁田信一氏の記述によれば、清原致信を殺したのは、源頼親の武士団であり、致信殺害は源頼親が命じたものといわれている。頼親は大江山酒呑童子を退治したことで知られる源頼光の弟であり、「王朝貴族の一員でありながら自ら強力な武士団を率いていた、「軍事貴族」と呼ばれる存在だった」

 現代流に考えれば、清少納言の兄の殺害は、国守という権力を利用してあらゆる不正行為に手を染めていた藤原保昌が、自らの不正を摘発しようとした大和国の当麻為頼の殺害を清原致信に命じ、それを実行した清原致信がその報復に殺害された事件であった。和泉式部清少納言が優雅な暮らしを営めたのも、その背景に夫や兄のこうした不正行為によって得られた蓄財によっていたはずだ。
 いや両者だけではなく、藤原氏を頂点とする貴族社会は、こうした地方の犠牲の上に成り立っていたのだ。和泉式部清少納言はそれを知っていたのだろうか。もし知っていて、あのような優雅な世界だけを描いていたとしたら、彼女たちに対する評価にも微妙な調整が必要かも知れない。
 鎌倉時代に成立した『古事談』では、事件当時、清少納言は殺害された兄と同居していたことになっている。そして兄は目の前で殺害され、それどころか清少納言自身も殺害寸前までいったと書かれている。いずれにしろ宮中を退き、当時は五二歳になっていた清少納言にとって、衝撃の出来事であったには違いない。

 舛添東京都知事が、もし平安時代の世に生きていたら、彼は殺害されることは勿論、辞職に追い込まれることもなかっただろう。金を私的な理由で消費はしたものの、平安貴族のように都財産を大量横領したわけではないからだ。仮に「収奪」していたとしても、むしろ彼を追及する集団は、ロシアや中国がそうであるように政敵として投獄されたり抹殺されたかも知れない。ただ、支配者側も油断すると、家を放火されたり清少納言の兄のように報復で殺害されることもある。が、平安時代なら「クレヨンしんちゃん」の本を公費で購入したなどという「些末」なことは、話題にも上らなかったはずだ。彼の行為は信じがたいほど「Sekoi」からだ。 

 ただ、藤原保昌が自分の批判者を殺害したのは、もし自分の行為が明るみに出れば、「不正行為」として処罰される可能性があったからだ。が、現代の東京都知事の「行為」のいくつかは必ずしも法律違反に問われない。また違反があったとしても、額が小さいので立件出来るだけの犯罪とは証明されない可能性がある。東京都知事の辞任は当然としても、その理由は現在の時点では「背任行為」ではなく、道徳的問題であったり、知事に対する生理的嫌悪感であった。

 しかし、本来、もっと話題にすべきなのは、普通の庶民感覚では当然「不正行為」と認定される行為ですら「合法」と認定する、いい加減な「法律」の検討であり、改正である。が、与野党ともそれには触れない。領収書を必要としない「政治資金法」の便利さを与野党の議員は手放したくないのだろう。

 平安時代の王朝貴族は「収奪の限りを尽くした」と繁田信一氏は述べる。が、それが明らかになれば形式的であっても、処罰の対象となる。が、現代の「政治資金法」では、合法の仮面をかぶって実行できる余地を残している。もっとも、平成の時代では、さすがにそこまで収奪に踏み切る政治家は少ないだろう。

 現代は、新年の家族旅行で公費を私物化しただけではなく、「クレヨンしんちゃん」の本を購入したというsekoiことまで辞任理由の一つとして連日追及される時代。

 東京都知事の有力候補だった野党の女性国会議員が、知事選出馬を辞退したのも、「政治資金」運用に関して些細な出費を追及され、政治生命を絶たれることを恐れたからかも知れない。

 役人が「収奪の限りを尽く」す社会が良いとは決して思わない。が、我々はさまざまな意味で窮屈で不寛容な時代に生きているのである。それはそれで、けっこう疲れるものだ。