【団塊ひとり】アンパンマンに教えられたこと、正義とは何か

アンパンマンに教えられたこと

深夜、一人でPCに向かって様々な情報をネットで確認することが習慣になって久しい。今夜も寝る前のネットサーフィンをひとり「楽しんで」いたら、「NEWS ポストセブン」(小学館が発行する「週刊ポスト」「女性セブン」「SAPIO」「 マネーポスト」4誌を統合したニュースサイト)に面白い記事があった。読んでみて驚いた。それは「アンパンマン」の作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノンフィクション・ライターの神田憲行氏がインタビューした記事の中のやなせ氏の発言である。

(やなせ氏)「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。(中略)つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。

 被災地の子供たちがいま『アンパンマンのマーチ』を歌っているそうだ。

≪なんのために 生まれて / なにをして 生きるのか / こたえられないなんて / そんなのはいやだ!≫(『アンパンマンのマーチ』より)

 前回のブログで私は、芥川龍之介の文章を引用して「正義」について、ちょっと生意気なことを述べた。しかし、それは「正義」は相対的なものである、という言わばだれでも考え付きそうな結論だった。しかし「アンパンマンの作者」はそれを実に平明な言葉で、さらに深く述べていた。「困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです」これは芥川を越えていると思った。

 子供番組は侮れない。子供の考えも侮れない。孫を持つようになって、私もやっとそれをわかり始めた。なんと遅いことだ、と悔やんでいるとやなせ氏の次の言葉が飛び込んできた。

 『なんのために生まれてきたか』ってわからないまま人生を終えるのは残念ですね。この歌を子供の頃からずっと歌っていると、考えることが自然と身に付くような気がするんだ。そしてある時になると、わかる。僕がわかったのはいつかって? 60過ぎてからだな(笑い)。遅いんだよね」

 90を過ぎたアンパンマンの作者にしてこの言葉。団塊の世代である私もあきらめることはない、まだまだやるべきことがあるのだ、と考えると少し希望が出てきた。