【団塊ひとり】大阪府知事・大阪市長W選挙の行方 時代閉塞の現状の打破かそれとも・・・・

 
 大阪が少しばかり熱くなっている。大阪府知事の職をなげうって、格下の市長選に出馬した橋下氏と現職の市長の平松氏、維新の会と既成政党との争いが本格的になってきたからである。手術が理由の羽柴氏はおくとして、共産党の渡司氏が出馬断念を表明し、本来、水と油のはずの民主・自民・共産が事実上の共闘態勢をとって、橋下氏や維新の会に戦いを挑んでいる。さらに週刊誌上で橋下氏に対する個人的な誹謗、ネガティブキャンペーンが展開され、「ある勢力」が本気で橋下氏をつぶそうとしていることがわかる。大阪府民の一員としては、双方が冷静に純粋な政策論争を展開してほしいと思っているのに、どうも両陣営とも選挙民の感情に訴える手法をとっているようで残念に思われる。

 一方で新聞社による世論調査にも奇妙な結果が出ている。例えば朝日新聞では「橋下氏50%、平松氏26%」、読売新聞では「橋下氏と平松氏について「横一線」」と報じている。両紙とも調査した母集団の正確な実体が明確でないので即断は出来ないが、結果があまりにも違いすぎる。国政選挙における政党支持率では、両紙ともこれほどの違いは見られないので、今回の結果はある意味「不自然」な印象を受ける。「横一線」か「ダブルスコア」か。受ける印象はかなり違う。

 今のままでは、私は日本がますます沈没していくような気がしてならない。新聞もTVも、意見陳述や論戦は盛んなのに、その多くが言うだけのパフォーマンスに終わって、多くの事柄が実行されない。品の悪い表現で言えばなんだか精神的なオナニーのようで、政治家の発言を聞けば聞くほどおちこんで行くような気がする。

 政治家だけではない。東北の復興は、がれきの処理だけでも思うようにならない。外国による風評被害を訴える人がいる反面、「安全」と認定された被災地の米や、がれきを受け入れようとしない自治体や「市民」も多い。そして時代を覆っている「閉塞感」の中に、自分がどんどん取り込まれていくような気がしてやりきれない。

 年金などでは団塊の世代はどうやら「逃げ切る」事が出来そうだが、事は我々の世代だけではすまない。やがて消費税が数十パーセントにはねあがり、年金受給が70歳からという時代が来れば、我々の子供や孫の世代はいったいどのような生活が可能なのか。今の日本は、我々の子供たちとともに、明るい未来を信じることが出来るような国なのか。とても心配だ。国外の情勢も影響しているとは思うが、やはり原因は政治の「貧困」実行力の欠如だろう。ハトヤマやカン・チョク・トは別格としても、有言不実行・不誠実な政治家が多すぎる。絵に描いた餅をあるかのごとく見せびらかすのではなく、財源の裏付けのある実行可能な未来を提案できる政党が日本には存在するのだろうか。

 公約の実行力という点から見ると、いつの間にか100%の歳費を受給している既成政党の集団である国会議員と、実際に議員報酬を減額してきた大阪府議員との違いは歴然としている。その差はどうして生まれるのか。結局は議会における政党の比率である。ありていに言えば民主党と維新の会との違いである。前回の選挙で維新の会が躍進したのも、理由があると思う。選挙民は政治家が思うほどには「馬鹿」ではない。

 大阪のW選挙は、「独裁」を目指す政党と「民主」的な政党との闘いなのか。それとも、多少強引でも日本全体に漂う「時代閉塞の現状」を打破しようとする政党と、既得権益を守ろうとする既成政党との闘いなのか。大阪「秋の陣」は、今後の日本の行く末を占う選挙になるかもしれない。