【団塊ひとり】大阪市長選の行方 橋下氏リードは本当か?

 大阪府知事の選挙が大阪市長選の前にかすんで見える。

 ところで、多くの新聞は橋下氏リードと報道しているが疑問が残る。よほどの失政が無い限り現職が有利であることは明白である。平松氏は得点も無いかわりに目立った失点もないので、その点有利な状況は変わらない。また、今回は反橋下氏の旗印の下、本来水と油のはずの政党が団結して政治運動をしているので票が割れにくい。そして民主・自民・共産は橋下氏が異常に攻撃する「官」の代表とも言えるので、その圧倒的な組織力は侮れない。今までの大阪人の政治意識は必ずしも高かったとは言えないので、投票率いかんによっては選挙結果が劇的に変化する。

 大阪が活力のあったときは「官」よりも「民」の力が大きかったが、最近の大阪は保守的な傾向が強く急激な改革は望まないのではないか。特に既得権益が絡むと大阪人はとたんにがめつくなる。どちらが勝利しても、一部の新聞が報道するようには差が開かないような気がする。

 私は大阪市民では無いが、府民の一人としても今回の選挙は思ったほど政策論争が無く物足らない。政治家は選挙民の器量を見て演説するから、責任の一端は我々にもあるのかもしれない。しかし、大阪市地下鉄や水道事業などは市民・府民のどちらにとっても影響することだ。無関心ではいられない。

 共産党までが民主党自民党と歩調を並べたのは、大阪府教育基本条例が原因だろう。教員の政治的な中立を守るという主張らしい。しかし、私が高校生だった頃、ソビエトや中国の原爆は防衛のためだからOK、アメリカの原爆は侵略のためだから反対しなければいけないなどと、今から思えばきわめて稚拙な「政治的」発言をしていた教員は少なくなかった。私が5月31日のブログで紹介した反日思想を持った豊中市の名門T高校の教員(英語科)も一例にすぎない。ある学校では卒業式の前に、学校側が国歌斉唱「起立」といっても決して立たないようにと念を押した学年もあった。学校の敷地内でも生徒には見えない場所には政治家のポスターが貼ってあるし、HRで署名を要求する担任も後を立たない。これらは、控えめに見ても、政治的に中立だとはとても思えない。

 私には「国のために死ね」「愛国心を持て」も「国のために死ぬな」「日の丸に敬意を払うな」も同等に子供を馬鹿にした言い方のように思える。自分の生き方を選ぶのは「子供自身である」べきだ。教師は子供を「洗脳」するのではなく、自分で思考させるよう、決断できるように補助の役割に徹するべきだ。

 ただ、北風と太陽のたとえ話もあるように、仮に橋下氏が当選しても、教員を従わせることは困難だ。例えば、現在でも次のようにして国歌斉唱時の起立を切りぬける事は簡単だ。

 起立を望まない教員はまず、式当日の受付を希望する。あるいは構内巡視の役に当ててもらう。そのほか、適当な雑用を作り、割り当ててもらう。そして、国歌斉唱が終わった頃をみはからって式場に入場する。もちろん、式場の教員用の椅子は初めから定員よりも少なくしておく。そうすれば担任以外は出席すらも免れる。ほとんどの学校では、参列している教員の点呼などとらないのでこれで十分だ。この方法だと管理職の顔も立てられるし、組合員の処分も必要なくなる。つまり今のように官僚化された学校現場では、いくら法律・条例を厳しくしてもザルの目のように漏れてしまう。その事に橋下氏は気づいているのだろうか。