【団塊ひとり】 ジュリーの判断で覆った旗判定 「柔道精神守るため」

団塊ひとり】 ジュリーの判断で覆った旗判定 「柔道精神守るため」

 一度下された判定が覆される。そのことに批判や不満を覚える人がいる。が、ここは冷静に考えたい。一度下った判定を覆す事によって、勝負の公平さを強調している競技があるからだ。「封建的」な世界と思われている大相撲である。そこではプロ野球やサッカーという近代的な競技でも導入されていないビデオ判定という方法を利用して、難しい裁定の確認を行っている。その結果、行司の判定が覆ったり、再び勝負が行われたりする。観客も誰も不平を言わない。裁定を覆すだけではなく、その理由を言葉できちんと説明するからである。私は実に公正な手法と思う。柔道も見習うべきだ。

 さて、新聞記事を引用して例の柔道の試合を振り返りたい。

【記事引用】
 柔道男子66キロ級の準々決勝で、海老沼とチョ・ジュンホの試合で下された旗判定が、試合場全体の審判を統括するジュリー(審判委員)の判断で、覆される前代未聞の事態があった。

 問題のシーンは海老沼−チョ戦の終了直後。海老沼は延長戦の1分過ぎ、一度は有効と判定され取り消される小内刈りを放っていた。その後は一進一退で時間が切れ、旗判定に委ねられた。主審と2人の副審は青のチョを支持。3−0で一度はチョに勝ちが告げられた。

 ところが、バルコス大会審判委員長が3人の審判を呼び集め、判定のやり直しを指示。再び行われた旗判定は3−0で白の海老沼を支持する異例の逆転裁定となった。

 試合後、バルコス委員長は「我々の責任は柔道精神を維持すること。真の勝者が勝者として畳を降りる状況を作った」と説明した。

 国際柔道連盟(IJF)は北京五輪後のルール改正で、ジュリーが最新の映像監視システムで全試合場の判定の正誤を指摘するシステムを導入。一本、技ありなど技の効果の判定は審判に決定権があるが、明らかな誤審が認められた場合は、ジュリーのアドバイスで訂正されるケースが増えた。

 この試合、一度は「有効」と判定された海老沼の技以外に大きな判断材料がなく、試合場に配置された3人のジュリーはいずれも「白(海老沼)の勝ちは疑う余地がない」と判断。バルコス委員長の最終決断で、主審と2人の副審に「旗判定を覆すよう指示した」という。

 バルコス委員長は「(判定を覆したのは)柔道精神の問題。どの国とどの国の対戦かは問題じゃない。われわれにヒューマンエラーはつきものだが」と話した。

 一方で、日本の柔道関係者は「ジュリーが前に出すぎて、主審と副審が主体的な判断をできないケースが目立つ。審判のレベルの低下につながる恐れがある」と現行のシステムに警鐘を鳴らす。

 今大会には、IJFのライセンスを持つ国際審判25人が世界各地から集められ、コンピューターによる抽選で試合が割り振られるシステムになっている。(森田景史)(産経新聞webより)

 日本の柔道関係者の「ジュリーが前に出すぎて、主審と副審が主体的な判断をできないケースが目立つ。審判のレベルの低下につながる恐れがある」いう考えには賛成できない。むしろ審判の技術が低下したから、「最新の映像監視システム」が導入されたのではないか。審判が見抜けなかった体操の内村選手の華麗な技もビデオ映像という「最新の映像監視システム」があって初めて確認されたという事実がある。主観や、思い込みや、錯覚や、その他のたとえば審判の買収などの「不純な要素」を排除するためにも、客観的な「最新の映像監視システム」の導入は必要だと思う。ただ、その時は、大相撲のように主審だけを残し、副審のあり方を廃止も含めて検討すべきと思う。そして主審の裁定が納得できない時にのみ、大相撲の「物言い」のような形で主審の裁定に介入すればよい。そうすれば今回のような「不手際」は避けられよう。

 私見を言えば、今回のような判定が起きたのは日本の選手にも責任がある。「負けた」韓国選手は常に勝者のように振る舞っていたが、海老沼選手はそうではなかった。何となく覇気が感じられなかった。たおれてもすぐに起き上がらない。試合が終わってもしばらく上を向いたままで完全な敗者の姿勢をとり続ける。これでは審判の「感性」に訴えることは出来ない。逆に考えれば今の方法では審判の「主観的要素」が強すぎるということになる。

 ともあれ、勝ち進んでいる選手はみな、たくましい気迫がTV画面から伝わってくる。選手は技だけではなく、内面の強さで相手を威圧する位の精神的な強さを身につけるべきだ。そして決着に文句を言わせない勝負を見せてほしい。今のシステムが続く限り、勝負に対する気迫を全面に押し出すことは勝負の行方を支配しているからだ。もっとも、気迫だけが空回りするのは論外だが。