【団塊ひとり】竹島問題と李明博の天皇陛下に対する謝罪要求発言。

 竹島問題を初めとする韓国との関係が新しい様相を持ち始めた。その契機は、多くの「日本人」なら絶対に口にしない言葉、それは天皇陛下に対するあからさまな侮蔑発言だ。が、それを李明博は口に出してしまった。それが天皇だけではなく日本人をどれだけ侮辱することなるのか、日本社会の以後の「韓国観」(私は本当は以後「韓国」を南朝鮮・イヌの国家と呼びたいのだが、それでは彼らと同じ次元に自分を落としてしまうので、今のところはまだ「韓国」という呼称を我慢して使用する。)を変えるきっかけになるか李明博は考えたことがあるのだろうか。実際、あれほど朝鮮びいきの朝日新聞でさえ次のような論説を載せている。

 「殿、ご乱心」などという。暴走を始めた権力者は手に負えず、国民と周辺国に災いをもたらす。近間では北朝鮮の「金王朝」が一例だが、同根の韓国で李明博大統領の言動がおかしい▼竹島に上陸したのに続き、天皇陛下訪韓を巡り「訪れたいなら、独立運動の犠牲者に心から謝るのがよい」と語ったそうだ。そもそも訪韓を請うた本人である。「来たけりゃ謝れ」では、けんかを売るに等しい。
(後略)(8月16日「天声人語」より)

 その他の新聞も当然ながら論調は同じである。李明博の発言は、図らずも日本の世論を団結させる効果をもたらした。

 それにしても「韓国」大統領はなぜかくも似通っているのか。就任したときは誰もが、国民に対しては汚職のない清潔な政治を確約し、日本に対しては「過去にこだわって未来が損なわれてはならない」といかにも未来を見据えた発言をする。しかしそれが心からの発言でないことはすぐに露呈する。その契機となるのは自らの国内政治の失政や、自らや身内の汚職などの権力腐敗で求心力を失うという状態だ。李明博を取り巻く現在の状況は、汚職まみれの結果逮捕を恐れて自殺した前の大統領愚武鉉とあまりにも似ている。ただ愚武鉉は日本人の知らないところで、「日本を敵国と認定して、アメリカと共同戦線を張りたい」と献策して、アメリカを困惑させたが、その点李明博は公式に日本を韓国の敵と断定しただけわかりやすい。彼はしばらく日本で生活していたので、馬鹿とも言える「外交オンチ」な点は少しは民主党に近いところがある。

 日本はこうした国と隣り合わせなのだ。ある中国人が日本人と違って朝鮮人は隙を見つけたら背後から攻撃してくるのでやっかいだ、と述べた言葉は今回図らずも実証された。だが今回の李明博の発言には伏線があるのではないか。それは福島の被災地を訪れた中国・韓国首脳と当時の首相カンとの会談における「密約」ではなかったか。私はその危険性を昨年の6月11日のブログで書いた。日中国交四十周年を迎える中国や、非常任理事国への野心を持っている韓国にとって天皇陛下の自国訪問は最大の政治的効果を望める行事だ。また両国首脳の来日は、当時四面楚歌のカンにとって好都合であったはずだ。だからカンは相手に都合のよい形で約束し、それを受けて両国首脳は来日したのではないか。そして大人の中国とは違って、浅薄な李明博はその時の日本の首相の態度から今回の発言を判断したのではないか。そうでなければ自らの政治的野心と金でしか動かない中国や韓国の首脳が、わざわざ福島に出向くはずがない。そこには必ず何らかの「甘い約束」が取り交わされていたはずだ。今は、それはこういうことだったのか、という残念な思いでいっぱいだ。だとすれば民主党の責任も大きい。

 だが、今回の天皇陛下に対する侮蔑発言は常軌を逸している。さすがに親朝鮮内閣と揶揄されている民主党政権ですら「韓国の安保理非常任理事国入り」に反対する意向を表明している。当然のことだ。これからは韓国および韓国人に対する日本人の感情や、政治を含んだアプローチは微妙に変化してゆくだろう。ただ、大津の教育長襲撃事件のように、我慢が出来なくなった人間が政治家を襲撃するのではないかと心配が残る。すでに「右翼」の街宣車が韓国大使館前に出現しているらしいが、「右翼団体」の何割かは日本人の評判を落とすために構成された朝鮮系の団体なので、自作自演の可能性がある。だから騒音はともかく、大使館員を襲撃するという実質的な行動に走ることはないはずだ。また本当の右翼なら、そもそも大使館を襲撃するという非礼なまねはしない。日本の本当の右翼なら街宣車など使用せず、山口二矢がかって社会党浅沼稲次郎を一突きでみごとに刺殺したように、行動するだろう。彼らが何よりも重んじるのは「美学」である。街宣車には何らの美学はない。日本人のDNAに語りかけてくるものは何もない。浅沼刺殺の瞬間の写真は世界に報道され、毎日新聞の記者がとった一枚は、ピューリツア賞を受賞し永遠に残ることになった。私は「テロ」を賛美するものではないが、刺殺瞬間の山口二矢の姿は高倉健の映画の一コマのように、私の心には残っている。山口は浅沼を刺殺後自決をはかって警官に阻止されている。が、結局彼は獄中で覚悟の自殺を実施した。山口が自決によって自らの行動を締めくくったことは、自衛隊に乱入して壮烈な自決を実行した三島由紀夫を連想させる。彼らに共通しているものは言行一致を生き方全体で示したことである。

 さて、李明博に対する言いしれぬ嫌悪感。それを私は上手く表現できなかった。が、それを実に上手く表現した文章を見つけた。最後に紹介したい。

【読売新聞】
 自尊心を「 種 の永続の道具」にたとえたのは、フランスの思想家ボルテールである。〈それは必要であり、われわれにとって貴重であり、われわれに楽しみを与えてくれる。しかしそれは秘めておかねばならないものである〉と(法政大学出版局『哲学辞典』より)◆種の永続の道具――ずいぶん遠回しの言い方だが、たしかにあからさまには口にしにくい。人間は皆、その道具を秘めておくために下着を身につけている◆高飛車に出て自国民の自尊心をくすぐる狙いとしても、礼儀のかけらもない発言は常軌を逸している◆「(天皇陛下は)心から謝罪するつもりなら韓国に来てもいい。“痛惜の念”などという言葉を携えてくるだけなら来るな」。竹島島根県)への上陸を強行した韓国の 李明博大統領が今度はそういう趣旨の発言をした。道で変な人に立ちふさがられたようで、目のやり場に困る◆容易には治癒しない傷を日韓関係に負わせてまで政権の人気を回復させたいのかと、憤りを通り越して 憐 れである。韓国の政界にも常識の通じる人はいるだろう。どうか大統領にパンツをはかせてやってください。                (16日の編集手帳より)

  ※文中 愚武鉉は盧武鉉の誤記でした。盧泰愚と混同しました。謹んでお詫びいたします。