【団塊ひとり】いじめと暴力

 
 大津の「いじめ事件」の「真実」がだんだん明らかになってきている。が、ネットで誰もが知っている中学の名前すらまだ公式には明らかになっていない。まさか国が指定した道徳教育指定校という体裁を繕うためではあるまい。また噂されているように、人事との関係で圧力がかかっているのだろうか。

 「いじめ事件」や警察関係の事件の報道で、マスコミは時々情報を遮断する。情けない事だ。何を恐れて情報を公開しないのか。当局が流す一方的な情報を垂れ流すだけでは戦前と変わらない。記者が単なる速記者になったらジャーナリズムは終焉する。

女子柔道の園田監督が辞任。残念なのは解任ではないことだ。柔道連盟はほっとしているだろうが、自主的な辞任だとしても役員の責任は免れない。この不祥事とそれに対する対応が五輪誘致に影響するという配慮さえ感じられない。役員は総辞職するなど責任を明らかにすることが必要ではないか。

 桜宮高校のバスケの顧問はどうするのか。自ら自主退職を願い出ると思っていたが、まったくその気配はない。まして教育委員会が懲戒免職を発動する気配はさらさら無い。なぜこんなに判断が遅いのだろう。そうしているうちに自殺生徒の父親が月命日に告訴してしまった。自浄作用は期待できないのか。

 園田監督は告発を受けたが、告訴されることはないだろう。園田監督の自主的な辞任はある意味で「大人の解決」になってしまった。それが日本のスポーツ界にとって良いことなのか否かはわからない。

 告訴された桜宮高校では、やがて警察が教育に介入してくるだろう。本来避けねばならない事態だ。これから多くの教員・生徒に対して警察の事情聴取が始まるだろう。顧問の行為が暴力と判断されれば彼は犯罪者になり、教育界のみならず一般社会での位置も危うくなる。学校の名誉も地に落ちる。スポーツと同様、判断の遅れは致命的だ。自浄作用が働かない以上やむを得ないことだ。

もし救えるものならば桜宮高校を救う方法を教えてほしい。真面目な生徒も多いはずだから。

過ちて改めざる是を過ちという。学校や五輪レベルでのスポーツ界の一連の混乱を見ていて思い出す言葉だ。敗戦からもうじき70年。きっと何かが変わらねばならないのだろう。

NHKのNC9を見ている。昔の流行歌「カスバの女」が流れていた。聞いているとなぜか心にしみてくる。なぜだ。

アントニオ猪木の「闘魂ビンタ」を暴力と呼ぶ人はいない。座禅における警策で打つという行為を暴力と考える人はいない。暴力と認識される行為とどこが違うのか。

 全柔連幹部の処分なし。やはり予想通りトカゲのしっぽ切りだ。これでは「暴力」を公認していると思われても仕方が無い。東京五輪の誘致が失敗したらその矛先は柔道連盟に向けられるだろう。

 桜宮高校に対する橋下市長の行動が刺激的なのは、問題の本質に切り込んでいるからだ。対症療法ではなく強引に切除手術を行おうとしているからだ。だから賛否がこれほど極端に分かれるのだ。反発は多く、生命さえ狙われる。ともあれ「平和」時には見られなかった政治家であることは明白だ。