【団塊ひとり】宮崎駿監督の引退と「風の谷のナウシカ」の矛盾

 宮崎監督が引退を正式表明した。どうも今回は「本当」らしい。私は監督の作品では「風の谷のナウシカ」がもっとも印象に残っている。

 ナウシカのような女性は私にとってある意味あこがれの対象だ。ホメーロスの「オデュセウス」のナウシカは予言通り海から出現したオデュセウスに恋をし、彼が帰国後も独身を通したらしい。「風の谷のナウシカ」もきっと結婚しない「永遠の少女」なのだろう。

 引退会見で宮崎監督は「ナウシカ」を描いた頃を次のように回顧している。

 「ジブリをつくったころ(1985年)は、日本が浮かれ騒いでいる時代だったと思います。経済的にもジャパン・アズ・ナンバーワン。そういうことに、僕は頭にきていました。頭にきていないとナウシカなんかつくりません。1989年にソ連が崩壊して、バブルが崩壊した。その過程で、ユーゴスラビア内戦など歴史が動き始めた。今までの作品の延長上に作れないとなった。そこで、僕や高畑監督は豚や狸を主人公にして切り抜けた。そこから長い下降期に入った。バブル崩壊ジブリのイメージは重なっているんです。その後、『もののけ姫』などずるずる作ったりしてきました」

 監督が「頭にきていた」のは何か、軽々に言えないかも知れないが、ナウシカの世界には当時のイラク戦争ユーゴスラビア内戦などが反映されているのだろう。特に、アニメでは描かれなかったコミック版の後半で、トルメキアと対立する土鬼が瘴気(一種の毒ガス)を武器として利用するシーンなどは現在のシリア情勢を連想させる。 

 最近の新聞情報で見るかぎり、宮崎監督は憲法9条改正に批判的であり、原発にも厳しい意見を持っているように感じられる。しかしアニメ版では描かれなかったコミック版の世界では一概にそうとは言えない場面が多数出てくる。アニメ版の「風の谷のナウシカ」に、原爆を連想する巨神兵が登場する。巨神兵は『火の7日間』と呼ばれる戦争の中心となって旧世界を滅ぼした元凶だ。劇場で公開されたアニメ版では破壊されるべき、忌むべき存在として描かれる。しかし、コミック版で描かれる巨神兵の子供はやがて知能を持ちオーマと呼ばれる存在になり、自分自身を「裁定者」と自覚するようになる。しかもコミック版ではその巨神兵の子供はナウシカを「ママ」と認識し彼女を慕っている。そしてナウシカは時には彼の力を利用する。

 ナウシカは「敵」に対して毅然と戦いを挑む女性だ。現実に彼女は世界を破壊し、時には巨神兵オーマの助けさえ借りて敵を「殺戮」する。単純人間である私は、ここで憲法9条改正に批判的であり、原発にも厳しい意見を持っているように感じられる宮崎監督とのギャップを感じてしまう。闘うナウシカの行動はとても憲法9条の範疇に属しているとは思えないからだ。

 原子力の破壊力や戦争は小説や映画やアニメなどで、あるときは否定的に、あるときは肯定的に幾度も描かれてきた。が、かつては地球温暖化阻止の大きなツールとしてあれほど喧伝された原発も、最近は手のひらを返したように悪者扱いだ。原子力の全てが悪者扱いされているが、アニメ関連で言えば、あの鉄腕アトムの動力が「原子の力」だったことはすっかり忘れ去られている。変化が急激すぎないか。私たちは鉄腕アトムを否定しなければならないのだろうか。私はそうは思わない。

 ある組織にとって「不都合な真実」は時代や環境によって変化して行くものなのだろう。だとしたら、歴史とはしょせんそういう相対的なものに過ぎないということを意識することも必要だろう。