【団塊ひとり】婚外子の相続規定と遺留分と遺言の関係

 国際人権規約に反するとみなされて何度も改善を勧告されてきた婚外子の相続規定について、最高裁大法廷が4日、初めて憲法違反との判断を下した。「実子」には納得できないだろうが如何ともしがたい。そのうち正妻と実子が協力して「変なお父さん」を除籍できる法律も必要かも知れない。
「実子」や「正妻」は「お父さん」を監視しなければならない。

 この法律が厳密に適用されれば韓国の「お父さん」はベトナム戦争で大量に「生産」した子供達に財産を平等に譲らねばならない。が、男女両方に適用される「姦通罪」が未だに存在する韓国では、その前にベトナム人の被害者の訴えによっては刑務所行きだ。が、外人女性に対するレイプはスルーする傾向のある韓国の裁判所では刑務所行きは免れる可能性は高い。

 敗戦後の日本でたくさんの「置き土産」をしたアメリカ人も、日本の子供に補償が必要だ。韓国の理論で行けば「補償」を要求されるのは日本人だけではないのだ。

理解できないのは父親の死後、突然出現する「不倫」の子に「実子」と同様の権利をという判決を支持する人たちが、献身的に「義理の親」の介護の世話をした「血」のつながりのない「正妻」が、義理の親の死後一銭も遺産を相続できないことを、どうして問題にしないのだろうという点だ。実に不条理ではないか。

大阪府の教員は「事実婚」による結婚に祝い金が出て、出産にもきちんと手当が出るそうだ。が、「不倫」による「同棲」や出産にまで手当が出るかどうかまでは知らない。

婚外子の相続規定の変更を認めるのなら、「不倫行為」を刑法で処罰しろと主張する人がいる。戦前の日本の姦通罪の復活を目指すのだろうか?が、それは御免被りたい。そういえば現在の韓国ではまだ姦通罪が存在する。イスラムでは「姦通女」は石打ちの刑罰で殺す。「不倫は文化だ」と居直る気はないが、国家が個人の問題まで深く支配するのは良いこととは思えない。法律ではなく道徳の問題だ。

婚外子と実子の話題も結構だが、実子でも親の介護をした子供と、ほったらかしの子供も遺産相続では平等。これを放置する限り老親の介護をする子供の増加は望めない。自分を犠牲にして親の介護をする子供が報われる世の中を望むことは差別なのか。納得できない。

婚外子の相続規定を見直すのなら、ぜひ遺留分と遺言の関係も見直すべき。遺留分の認定は、親の介護に関して不作為の態度を取る者を、あまりにも優遇しすぎる制度だ。もちろん欧米のように遺言に絶対性を求めると、全てが婚外子に渡る危険性も発生するが、今のままではあまりにも不条理。

 政略結婚の多かった平安時代の貴族間では、むしろ現代の「不倫」関係こそ真実の「愛」と思われていた面がある。源氏には葵上や女三宮という「正妻」がいたが、最も愛されたのは何の後ろ盾もない紫の上だった。しかし源氏の「愛」だけにしか頼れないので、紫の上の幸福は常に薄氷を踏むような頼りなさだった。

 世間で言う「不倫」がもっとも美しく描かれている小説の一つは漱石の「それから」だろう。それも主人公が当時の姦通罪を恐れず女性を純粋に愛そうと決意したからだ。

 現実世界では、真実の愛であっても、金のためや欲のための結びつきであってもすべて「不倫」で片付けられる。しかし「不倫の子」だけが苦しんで「実子」が苦しまないという事は無い。女性もそうだろう。人間の心は法律や常識でははかれない。法律は必要から生み出された取り決めに過ぎないが、人間世界を支配する。

 クリントイーストウッド主演の映画「許されざる者」の主人公は、法律に従わない無法者だ。人を殺しても顔色一つ変えない。が、亡くなった妻を思って他の女性を抱くことはない律儀な人間でもある。法律を守る偽善者と法律に抵抗する無法者のどちらが純粋か、一言では語れない。