わからない真実・報道の姿勢

 団塊の世代である私にとってNHKのアナウンサーの語り口調は、語りの模範であり、行動は一種の規範であるという意識が強い。番組も「公正」で「堅実」なものという印象が強い。しかし最近は、番組によっては多少偏向しているのではないかと「批判」されたりする番組もあるが、政治的な立場などが違う人たちが「批判」できるのは、民主主義国家である証拠であるから、むしろ好ましいことだと思う。大いに共感し、大いに批判することが出来る社会はむしろ誇らしいことだと思う。ところで私は、今回の震災報道に接して、普段は特別に意識しないNHKの良さが目につくようになった。NHKのアナウンサーのどちらかといえば事務的な語り口が、奇妙な安心感をもたらすことに気づいたのだ。もちろん、そこが問題だという人もいるのだが・・・・。

 TVは音声だけではなく映像も伝える。映像そのものが、凄絶なインパクトを与える場合、画面を説明する音声はむしろ冷静でいてほしい。ただ事実だけを伝えてほしい。

 こういうとNHKのアナウンサーが人間味のない存在のように思われるがそうではない。明日NHKの9時のニュース番組を「引退」する青山アナの結婚がマスコミで報道されたとき(今年1月)、相方の大越キャスターが実にしゃれた紹介をしたことが思い出される。 

 番組冒頭、「今日はステキな女性の笑顔からお届けしましょう。青山さんの顔も心なしか、いつもより輝いているようですが」と大越キャスターが述べる。私は、すでに芥川賞が慶応大学大学院に在籍中の女性が受賞していたことを知っていたので、当然受賞者の顔がアップされるかと思った。が、カメラは隣の青山アナをアップに。すぐに受賞者の写真に変わった。その時はあれっと思っただけだったが、実はNHKの青山アナの結婚確定の「ニュース」が前日のスポーツ新聞に発表されていた。後から思えば、大塚キャスターの「振り」はそれを受けての事なのだろう。しかしニュースを報道するという観点から言えば、自分たちの同僚の結婚など実はどうでもよいことなのだ。NHKは視聴者の受信料によって経営されている公共の放送局である。ここで民放のバラエティ番組なら、早速「結婚おめでとう」とか、何らかのコメントが入りしばらく「内輪の話」で盛り上がるところである。が、この番組はそうはしなかった。「結婚」という言葉を少しも使わずに見事に同僚に「祝福」を送っている。これは俳句の心に通じる。

 さらに感心したのはまとめの部分である。意図的か偶然かは知らないが当日の特集は「婚活」だった。最後に 大越キャスターが「例えば青山さんが近々、結婚するとして、仕事は続けたいと思いますか。それとも家に入りたいと思いますか」と質問する。するとそれを受けて青山アナが「仕事はしっかりやっていきたいですし、家庭も充実させていきたいと思いますね」と答えた。見事な連係プレー、見事な大人の演出だったと思った。一般的な質問のようでいて、しかも本人のメッセージはしっかり発信されている。NHKはこうでなければと私は思う。

 最近はニュースや政治をバラエティとして取り扱う番組が多くなった。政治を身近に感じられるという長所はあるだろうが、同時に大切なものを失っているように思われてならない。「お笑いタレント」が、視聴者に迎合するような発言を繰り返し、選挙で選ばれた代表をあしざまにののしる光景はいかがなものか。(もっとも、ののしりたくなる政治家が多すぎるのも事実なのだが)そのような風潮がはびこっている中での二人の会話。この見識は見事と思った。ところが、NHKでは広報部との対応が統一されていないことを理由に「注意」処分を行ったそうだ。うーん。感じ方が違うなあ。

 マスコミは大きな影響力を持つ。その発言は時には安心をもたらし、時にはパニックを引き起こす。だから報道は冷静でなければならない。しかし現実にはそうはいっていない。時にはミスリードを犯しているのではないかと不安に感じることもある。

 昨年セクハラサイコロでワイドショーを賑わせた「教師」の処分がまだ決まっていないそうだ。なんでも保護者が教師救済の嘆願書を教育委員会に提出し、しかもその署名が五〇〇〇人を超えていること、なによりクラスの生徒や親たちが教員の復帰を願っていること、また卒業生もネットを中心にこの教師の擁護活動を進めていること。このような事実が背後にあるようだ。垂れ流される「マスコミ報道」(主にワイドショーだが)に接すると、この教師はどうしようもない「軽率教師」なのだか、しかし「本当の」変な教師なら5000人を超える署名は集まらないと思う。嘆願の多さはまるで「金八先生」並の支持を感じさせる。いったいこの先生の本当の姿は何なのか。

 一九七九年のいわゆる「イエスの方舟事件」もわからない事件だった。家族の暴力などが原因で家庭内に居場所がないと感じた女性たちが「せんごく」という名の「おっちゃん」と同居生活をしたという「事件」である。「せんごく」といってもあの有名な仙石旧官房長官ではなく千石剛賢という、人物である。その男の元に二〇名を超える女性たちが集まり、時には水商売をして生活費を稼いだ。それでマスコミは「千石ハーレム」とか「現代の神かくし」と報道し、まるでオームのようなカルト教団として糾弾した。しかし、家族の要請を受けて警察が捜査した結果、容疑事実は見つからず最終的には起訴に至らなかったという。この事件の「背後」には複雑な家庭問題があったそうだ。千石の死後もこの集団は家庭内暴力から逃れてきた女性の「駆け込み寺」的な役割を果たしているという。

 ある「投書」や「情報」を元にマスコミ、そして多くはワイドショーが「糾弾的な報道」を執拗に行う。しかし時間がたって冷静に振り返ったとき、当初報道されていたのとはずいぶん違った事実が現れてくることが多い。

 今、大震災の復興事業が展開されている。その中でも原発に関するさまざまな報道が飛び交っている。マスコミ報道も少しずつ微妙に異なっていて私のような素人には判別がつかない。NHKの伝える情報が正しいのか、それとも週刊誌が伝える危機的な状況が正しいのか。いずれにしろ政府当局の影の薄さはどうしたのだろう。これが一番気になるところである。