【東日本大震災】石巻で見た映画「七人の侍」と殉職自衛官

半世紀以上も前のことであるから記憶違いであるかもしれない。石巻市の河口近くの中州にあった映画館で、今は亡き父に連れられて「シェーン」や「七人の侍」や、その他いろいろの映画を見たことを思い出す。そして、その映画館のトイレから石巻港がよく見えたことまでが、変に懐かしく思いだされる。それらはもしかしたら頭の中で作り上げた「偽の追想」であるかもしれないが、私の心の中では明瞭な「思い出」となって残っている。特に土で盛られただけの墓に、「戦死」した侍の刀が墓標のように刺さっているラストシーンは小学生の私に強烈な印象を与えた。でもたぶんその映画館はもうないのだろう。

承知のように、「七人の侍」は黒澤明の代表作の一つだ。日本映画の名作と言うだけではなく、コッポラやルーカスなどの海外の監督がその影響を受けていることを告白していて、「荒野の七人」など、多くのリメイクも作られるほどの名作だ。また、NHKの「クローズアップ現代」の特集では漫画「ワンピ−ス」の作者の尾田栄一郎が「七人の侍」の影響を受けていることを告白しているから、「サムライ」の精神は、今の若い人にも影響を与えていることは確かだ。

 ストーリイは単純だ。戦国時代の日本、食い詰めた侍が毎日の食事を支給されるというわずかの報酬で集められ、「無力な」農民を組織して戦闘集団に仕上げ、山賊化した野武士の集団から村を守るという話だ。

農民と侍の関係は複雑だ。農民は助けを求めながら、侍に対する不信感をぬぐえない。侍は農民の境遇に「同情」しながら、彼らの隠していた鎧などの武具が、落ち武者を殺したり、侍の死体からはぎとったものであることを知っている。それでも、侍は農民の側に立ち野武士と戦うことを決心する。そして侍たちは野武士集団に勝利する。しかし4人が死に、無用となった侍たちはまたあてのない旅に出かける。「勝ったのは農民だ、俺たちはまた負け戦だ」という勘兵衛の言葉が印象に残る。

 唐突だが、自衛隊の活動を見て私は映画「七人の侍」を思い出す。もちろん自衛隊員は勘兵衛たちのような食い詰めた浪人の集団ではないし、被災者は「哀れな村人」ではない。自衛隊員は法的に身分を保障され、経済的にも安定した生活を送ることが出来る。被災者も単なる弱者ではなく、ほんのちょっとした援助があれば自分達の未来を切り開いていける。しかし団塊の世代である私は、かつて自衛隊員が「税金泥棒」「暴力集団」とののしられていた時代を知っている。彼らが制服を着て歩くことを「自粛」していた時代を知っている。職業に貴賎はない、全ての人は平等だと熱く説いた教師が、自衛隊憲法違反、許すことの出来ない集団として、隊員の子供に惨めな思いをさせていた時代を知っている。「市民」たちも必ずしも自衛隊に暖かくはなかったはずだ。

 戦国時代と平和な日本。食い詰め浪人と「自衛隊員」。全く異なった存在であるはずなのに、黙々と働く自衛隊員の姿を見ると、なぜか私は映画「七人の侍」を思い浮かべてしまう。