【東日本大震災】臨床心理学の世界で「共感疲労」という現象

東日本大震災】臨床心理学の世界で「共感疲労」という現象

 おかしな夢を見た。私の家の近くに幅が約10メートル前後の本当に小さな川がある。上流なので水深も浅い。堤防にSLが走っていて、私は見知らぬ人たちとそのSLに乗り込む。SLは走り出すが、窓から見える景色は一度も見た覚えがない。やがてSLが止まる。どうやら線路が無くなったようだ。降りると堤防から少し水が漏れている。そこをまたいで堤防にあがると、広く不安な海が広がって・・・・そこで目が覚めた。もちろん現実にはSLは通っていないし、実際の川から海までは50キロはあるだろう。海など遙か彼方にあるのだ。

 最近おかしなほど涙もろくなり、父が亡くなったあと、しばらく私を縛り付けたあの不安な気持ち、ずいぶん前にペットに去られたときに感じたような切ない気持ちが再び強く蘇ってきて困惑している。また、集中力が無くなったように感じられ、前ほど生きる意欲を感じなくなった。なんだか地に足がついていないような、よくない気分に陥っているような気がしてならない。いい年をとったおじさんが今さら何をと思い、全てを加齢からくる精神的な弱さと片付けていた。しかし、もしかしたら、臨床心理学の世界で「共感疲労」という症状になりかかっているのではないかと思うようになった。

 立教大学現代心理学部教授の香山リカさんが、4月5日の「ダイアモンド・オンライン」で次のように述べている。

 東京には津波の被害はなかったのに、津波の夢で目が覚めてしまうという人がいます。自分が津波に呑まれてしまったかのような息苦しさを感じると訴える人もいます。被害の映像を見過ぎたために、ある種のトラウマを受けてしまったのです。(中略)私は、脳が処理できる量を超えた映像を見続けると、記憶の貯蔵庫に入れるときに、リアルの体験と同じ場所に分類してしまうこともあるのではないかと考えています。それは何も子どもに限ったことではないと思います。(中略)さらに、津波の映像を見てショックを受け、自分の過去のトラウマがフラッシュバックしたという人もいます。(中略)津波の映像を人ごとではなく、自身の「命の危機」と同等の出来事として見たのです。
 これは、臨床心理学の世界で「共感疲労」と呼ばれています。災害時に被災地に入る医療関係者やボランティアにもよく見られ、相手の境遇に心を寄せて考え過ぎるあまり、自分のエネルギーがすり減ってしまう状態です。

 このような心理状態は「危うい」と香山さんは言う。何かしなければ、と強く思い、それが出来ない自分を責める。もしかしたらこのような気分に陥っている人は多いのではないか。私がこの年で突然ブログを始め、音楽や文学や、興味のあること楽しいことを書こうと思っていたはずなのに、気がついたら震災や亡き父の事を書いているのも、もしかしたら、このような「共感疲労」のせいかも知れない。
 
 香山さんは「一日のなかで自分を休ませる時間」「30分でも1時間でも、現実から目を背けて、何か楽しいことや好きなことに目を向けるようにする」ことが効果的と説く。それぐらいのことをしないと、この現実に向き合って、これから先を生きていくことはできないからだと。