【東日本大震災】復興財源と政党交付金の返還

政治家の資質 龍馬とカン首相

 小さな会社が倒産すれば莫大な負債が残り、経営者は負債の返還に走り回らねばならない。「金のなる木」があるわけではないし、未来のない倒産会社に銀行が融資するはずもないので会社更生法が適用されなければ、経営者はもちろん社員や債権者も路頭に迷う恐れがある。そして、悲しいことに自殺者が出る場合さえ珍しくはない。

 国や政府はどうやら自分達の倒産という事態は想像も出来ないらしく、予算の不足をすぐに増税でまかなおうとする。どうやら政治家は「金のなる木」があると確信しているようだ。

 24日の読売新聞によると、「仙谷由人官房副長官は24日、東日本大震災の復興策の財源について「期間限定で、所得に対する付加税のようなものが望ましいのかなと、自分自身は思っていると述べ、所得増税を検討すべきだとの考えを示した。」そうだ。復興税や消費税の値上げ、赤字国債の発行など、最近「増税論議」が喧しい。

 同じ日の朝日新聞の朝刊のコラム「天声人語」では、政党交付金について次のような意見を述べている。

 情報を絞り込んだ小さな記事は、時に多くを語る。今年の政党交付金の初回分、80億円が国庫から支払われたという短信が各紙に出た。震災増税が言われる中、被災者に尽くすべき者が炊き出しに並んでいるような違和感を覚えた▼民主党42億円、自民党25億円。公平を期して続ければ、公明5億6千万、みんな2億7千万、社民1億9千万、国民新党など4党に数千万ずつ。制度に反対する共産党を除く各党に、通年ではこの4倍が渡る▼申請は今月初めというから、義援金が1千億円を突破し、著名人がこぞって私財を供した時期だ。今回だけでも遠慮するデリカシーを永田町に望むのは、どうやら自販機にスマイルを期待するがごとし。民に耐乏を訴えながら示しがつかない。(中略)▼交付金の過半を得る民主党では、有事の緊張が早くも解けたか、またぞろ権力争いが始まった。国難は政治家の器を試す。地位と待遇に見合う働きをしているのはどこのだれか、しかと見極めたい。
天声人語

 全く同感である。私は朝日新聞民主党べったりの報道をしていると思っていたので、その朝日新聞でさえ批判記事がでるような状況はよほどのことだと思われる。

 以前、民主党ハトヤマ首相が、お母様からいただいた月額1500万円の子供手当に脱税容疑がかけられたとき、「手続きミス」ということで、後から税金を支払ったことがあった。これだけですんだことにも驚いたが、そのうちの何年かは時効ということでうやむやになったことにはあきれてしまった。実は私は密かに、ハトヤマ氏が「法律的には支払う義務は無いかも知れないが、道義的責任を感じるので時効分の税金も含めて私がいただいた子供手当はすべて国庫に寄付します」とでも、述べるのかと思っていた。というのも、いま時の政治家には珍しく「現実論」よりも「理想論」を述べていたので、もしかしたら世の中変わるのでは無いかと多少の期待を持っていたからだ。が、沖縄問題に始まるつまずきで淡い期待は深い絶望に変わってしまった。

 「隗より始めよ」という言葉がある。人に痛みを要求するのなら、まず最初に自分がその手本を見せるべきだ。清貧に甘んじよ、とまでは言わないけれど「国民の生活が一番」というのなら、苦しんでいる国民から税金を搾り取る前に政治家がすることがあるのではないか。自分達の収入の一部、政党交付金の返却、多くの優遇措置の一時辞退、など多くの方法があるはずだ。政治家たちの「身をけずる」ような努力を見ると、国民もきっと政治不信を払拭するだろう。

 カン首相が以前坂本龍馬の発言を借りて「日本を洗濯する」といって、本当に洗濯している悲しい光景をTVで流したことがあったが、これほど龍馬の精神に遠い政治家も珍しい。新政府の人事を考えたとき、龍馬はその中に自分を入れなかった。それに反してカン首相は支持率1%になっても総理を辞めないと宣言した。龍馬とカン首相では月とスッポンほどの違いがある

 国民のことを思わず、権力にひたすら執着するという点では、カン首相はアジアの独裁国家のキム主席に近いのではないかと最近思うようになってきた。しかしそのような政治家を選んだのは我々日本国民である。悲しいことだ。