【団塊ひとり】イタリア、原発再開を断念…国民投票「反対」9割超、日本は?

 福島が起爆剤となって、世界各地で原発を見直そうという運動が活発化してきた。

 【ウィーン=末続哲也】原発再開の是非を問うイタリアの国民投票は13日、2日目の投票が締め切られ、伊ANSA通信が伝える投票率は約57%で、国民投票は成立した。
 出口調査によると反対票は9割を超すと見られ、再開反対派の圧勝が確実な見通しとなった。ベルルスコーニ首相は13日、投票終了を待たずに「イタリアはおそらく原発計画と決別し、再生可能なエネルギー分野の開発に取り組む必要があるだろう」と原発再開断念の意向を表明し、事実上の敗北宣言を行った。
 福島第一原発の事故後、原発をめぐる国民投票が行われたのは初めて。欧州ではスイスとドイツ両政府が将来原発を廃止する方針を決めており、イタリアの原発拒否の立場が固まったことで欧州各国で反原発世論が勢いづく可能性もある。(2011年6月14日 読売新聞より)

 電力会社は口を開けば電力事業は国家的プロジェクトだという。確かに電力供給は国家や企業などに多くの影響をもたらす点で国家的な大きな視野で考えねばならない事業である。ならば、それを私企業が独占することに矛盾はないのだろうか。最近、日本でも電力自由化の動きが進んでいるが、望ましいことだと思う。

 一台のスーパーコンピューターだけですべての事柄を処理する時期は過ぎた。小さなPCを集合して多面的な処理をする方がコスト面でも、リスク分散の面でも、効率の面でも優れている場合が生じている。不沈戦艦大和を「撃沈」したのは、小さな無数の艦上爆撃機であったことを忘れてはならない。電力供給も同じである。

 電力の安定供給という点で大きな組織も必要であろう。しかしもし一般家庭がそれぞれ自家発電装置や、小規模でも電力供給システムを装備していたらどうだろう。大規模な電力装置が破壊されても、それで都市機能のすべてが壊滅するというような事態には至らないはずだ。病院や大規模な冷凍を必要とする企業、断続が許されない作業が要求される企業も積極的に自家発電を取り入れるべきだ。そうすればある部分が死んでしまっても、別の部分が生き残る。そこから希望が生まれる。

 大量の核廃棄物を出し、いったん事故が起これば数十年にわたってその土地に甚大な被害を及ぼす原子力発電所。メリットが多くても、そこから発生するデメリットとの関係もまた同時に考慮することが必要である。想定外の事態も考える知恵・想像力が必要だ。しかしこれまでわれわれ国民は十分な討議をしてきたとは言い難い。電力会社や政府の言うがままに従ってきたのではないか。

 今回の福島の事故を契機として原発存続の意義に関して、本格的な国民間の討論が必要である。その主体は専門家や評論家になろうが、マスコミは、メリットだけを強調する極端な推進者、政治的な側面から偏執的ともいえるような反対をする一部の「市民活動家」を排除して、第三者が冷静に判断できる場を提供すべきである。国民はその議論を見て自分の態度を決めるべき時期に来たように思われる。

 いろいろな事情を考慮すると、原発の即時廃止は実際上不可能である。が、数十年後もなおも原発に頼るか、それとも再生可能な自然エネルギーにシフトするかは、手遅れにならないうちに決めておくべきだろう。それが福島で起きた不幸な事故(人災)を無駄にさせないためにも必要なことであると信ずる。