【団塊ひとり】日本古来の和歌に寄せて 耐える被災者へ台湾からの贈り物、東北大震災


 古典を読んでいると多くのすばらしい作品、言葉に出会う。和歌では私は万葉集を好む。しかし、正岡子規が「貫之は下手な歌よみにて「古今集」はくだらぬ集にて有之候」(「歌詠みに与ふる書」)とくさした「古今和歌集」にもそれなりの捨てがたい味があると思っている。何よりも「日本的」と言われるものがこの時代から成立した。後に、初めての「かな文字」による日記をものにした貫之にとって、古今和歌集は唐風から国風への転換を具体的な形で実践しようという志の「やまとうた」による「可視化」であったと、私は密かに思っている。これは年表をくってみると容易に理解できる。

 古今和歌集成立に先立つ寛平6年(894年)に菅原道真の建議で遣唐使が停止されている。そしてその唐は907年に滅亡した。古今和歌集の成立は 延喜5年(905年)と言われる。以後、今までの中国の影響が強かった奈良時代の唐風文化に対して、国風文化と言われるものが遣唐使の廃止を契機として華々しく開花してゆくのだ。古今和歌集が、漢詩に対して和歌(やまとうた)という国民意識を明確にした最初の勅撰和歌集として登場したことは大きな意味がある。

 その仮名序で紀貫之は次のように書いている。

 「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人事業しげきものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり。花に鳴くうぐひす水に住むかはづの声を聞けば生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男女のなかをもやはらげ猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり。」

 ところがまさしくこの仮名序で記されたと同じような和歌がアジアの国から日本に届けられた。

(2011年6月20日 読売新聞より)
 台湾・高雄市の義守大学応用日本語学科が年1回出している短歌・俳句の雑誌が、東日本大震災の被災者らを励ます短歌の特集を組んだ。
 500部を発行し、宮城、岩手県などに200部送るという。
 台湾には、日本統治時代に日本語教育を受けた人や日本語を学ぶ学生を中心に、短歌・俳句の愛好者は多い。特集には「台湾歌壇」のメンバーら62人の120首が掲載され、同歌壇の蔡焜燦代表は「国難地震津波に襲はるる祖国護れと若人励ます」を寄せた。
 「未曽有なる大震災に見舞はれど秩序乱れぬ大和の民ぞ」「天災に負けずくじけずわが愛友よ涙も見せず鬼神をば泣かす」など、耐え抜く被災者への感動を詠んだものが多い。福島第一原発の事故現場で働く作業員への称賛の歌も。「原子炉の修理に赴く男の子らの『後を頼む』に涙止まらず」「福島の身を顧みず原発に去りし技師には妻もあるらん」(以上読売新聞より)

  未曽有なる大震災に見舞はれど秩序乱れぬ大和の民ぞ
  天災に負けずくじけずわが愛友よ涙も見せず鬼神をば泣かす
 
 まさかの時の友こそ本当の友。震災時に火事場泥棒のように竹島に勢力を拡大した韓国。さっさと逃げ帰った中国人。そして暖かい和歌を贈ってくれた台湾の人たち。

 日本人の心から失われつつある魂の原型の一つが、こうした形で表されたことに私は素直に素朴な喜びを感じる。台湾の人々、ありがとう。