【団塊ひとり】なでしこジャパン、W杯初V 静かな闘志の結果

 正直、なでしこジャパンアメリカに勝つとは思っていなかった。だから先取点をとられた時は、ああやっぱり、と半ばあきらめの境地になっていた。同点となった時にもまだ勝利への確信は持てなかった。その後、さらに2対1になったときはもうほとんど絶望だったが・・・・私のような凡人の思考の及ばぬ結果が待っていた。

 19日の新聞は記事はもちろん社説もコラムも「なでしこジャパン」で持ちきりだった。

朝日新聞 社説より
 印象深いのは、男子とは違う、その伸びやかな戦いぶりだ。相手の猛攻にひたすら耐えるだけではない。肩に無駄な力を入れず、結果を恐れず、素早いパス回しとセットプレーという武器を存分に生かした。
 決勝で世界ランク1位の米国に2度のリードを許した時間帯も、重圧との戦いでもあるPK戦も、恵まれない環境でサッカーを続けてきた日々を思えば、さほど苦しくなかったのかもしれない。PK戦前の円陣には笑顔すらあった。悲壮感や根性論とは無縁の、スポーツの原点である「プレーする喜び」が彼女たちの全身からあふれていた。

読売新聞 社説より
試合後、選手たちは世界中から寄せられた東日本大震災への支援に感謝する横断幕を掲げ、場内を一周した。
 被災地からは「私たちも頑張らなくては、という気持ちになった」という声が上がった。日本全体を元気付ける「なでしこジャパン」の奮闘だった。

毎日新聞 社説より
 感動したのは試合内容だけではなかった。決勝戦を含め、出場したすべての試合後、なでしこたちは「世界中の友人たちへ 支援に感謝します」と英文で書かれた横断幕を手に場内を回り、スタンドの観衆の声援に応えた。今回の東日本大震災に際し、世界中から送られた支援に、なでしこたちが日本を代表して感謝の意を表してくれているようで、胸が熱くなった。

産経新聞 社説より
勝利の瞬間、歓喜の輪から一人離れ、敗れた米国選手を抱きしめる選手がいた。決勝戦で1ゴール1アシストの宮間あや選手だった。日本女子は、最後まで「なでしこ」らしかった。・・・・被災地からも、「感動した」「勇気をもらった」などの声が届いている。改めて国際大会の素晴らしさ、スポーツの持つ力を見せつけられた思いだ。

 被災地の新聞社も次のように伝えている。

河北新聞(宮城県)より
暗さ吹き飛ぶ なでしこジャパンに被災地奮い立つ
 歴史的な勝利に東北も歓喜に沸いた。2度リードを許しても諦めず、驚異的な粘りを見せた「なでしこジャパン」。「元気づけられた」「自分も頑張ろう」。東日本大震災の被災者らは18日、なでしこの奮闘に、逆境から立ち上がる自分たちの未来を重ね合わせた。
 宮城県南三陸町仮設住宅で暮らす三浦洋昭さん(52)は、朝一番でニュースをチェックした。「ひたむきな姿に元気づけられた」。営んでいた鮮魚店津波で流され、先週から移動販売車で営業を再開したばかり。
 「先行されても追い付いた不屈の精神を見習いたい。諦めないことが大事だ」と、自分に言い聞かせるように語った。(後略)

 多くがなでしこの健闘を称え、被災地との関連をその原動力の一つに挙げていた。

 私が見る限り、米国選手との違いを国歌との関連で説明していたのは伊勢新聞のコラム「大観小観」だけだった。

 開始前の国歌演奏で、日本選手は沈黙。米国選手は全員口ずさんでいた。国歌に対する思いの違いを見るようでおもしろかった。(「大観小観」)

 以前、男子の日本代表の有名選手が「君が代」は闘志をかき立てないと言って拒否したことがあった。確かに「君が代」はアメリカや中国やロシアのような肉食系の国歌とは種類が違う。実に静かだ。が、古代のスパルタの兵士は戦闘の前に静かな音楽を聴いていたそうだ。スパルタの兵士に闘志がなかったとは誰もいえまい。「なでしこ」たちもただ「沈黙」していたのではなかった。海外の選手がやるように胸に手を当て、目こそつぶっていたけれど、心の中には熱いものが存在していたはずだ。
 
 理屈はともあれ、「なでしこ」の偉業を素直に喜びたい。