【団塊ひとり】河村市長の南京事件発言「撤回しない」 なぜか冷静?な両国政府.

 藤村官房長官は2日の記者会見で、河村たかし名古屋市長による南京事件を巡る発言を受け、南京市で今月9〜11日に予定していた文化行事「南京ジャパンウイーク」が延期されたことを明らかにした。
 藤村氏は「主催者が出演者の安全面の確保などを総合的に考慮したと聞いている。国交正常化40周年の今年のしかるべき時期に開催できるよう調整していく」と述べた。
 政府は河村氏の発言について、「名古屋市と南京市という地方自治体の間で適切に解決されるべき問題」(藤村氏)としている。(2012年3月2日 読売新聞より)

 いわゆる「南京事件」について日本側が「不用意」に見える発言をし、それを中国政府が異常すぎるほどの抗議をし、日本側の同調者がそれに追い打ちをかける。そして発言者が謝罪する。何度も繰り返されている現象だ。が、今回は少し様子が違う。読売新聞の記事にみられるように、今回は日中両政府とも意外に冷静である。

 ある種の日本人は、南京事件における中国側の主張に反論すること、また、首相の靖国神社参拝をタブー視する傾向にあるが、実はこれこそ中国に対して日本が有する数少ない切り札である。もし、今の日本に日露戦争時における明石元二郎のような人物がいれば、きっとそう思うに違いない。明石大佐はロシア帝国を弱体化させ、日露戦争を勝利に導くため様々な裏工作をしている。その工作活動については様々な評価があるようだが、レーニンなどの革命家に働きかけ、ロシア帝国に揺さぶりをかけ日露戦争における有利な状況を作っている。つまり同じ「敵国人」でも敵の敵は友だ。

 もし明石が現在の日本の首相であるならば、中国の大事な国家行事を狙ってあえて靖国参拝をしたり、南京事件に対して刺激的な発言を繰り返すだろう。そして密かに大規模な反日行動が起きることを期待するだろう。興奮しやすい漢民族は大規模な反日運動に走り、日本の多くの商店は焼き討ちにあったり日本の大使館も暴徒がなだれこむかもしれない。「義和団」はまだ中国大陸から消滅していないからだ。が、19世紀的な無分別で時代錯誤的な行動は、同時に中国政府の世界的な評価をおとしめることになる。

 もしかしたら、かつての日本の攘夷運動がやがて討幕運動に変化していったように、中国の反日運動が反政府運動に変化する可能性が生まれるかもしれない。それは中国内で迫害されているチベット族ウイグル族や、政府の人権抑圧や圧政に苦しんでいる青年たちに大きな影響を与えるだろう。共産政権が倒れ中国が自由化・民主化されれば、それは日本にとっても圧政に苦しめられている中国人民にとってもけっして悪いことではない。 

 中国側の反応によって日本人は中国政府の政治的成熟度を測ることが出来る。ならば、我々は確固とした意志の元にときどき「あぶない発言」をすべきである。しかし、何も考えず深い意図もなくなされた発言で、しかもすぐに謝罪するような政治家ならそれは信頼に値しない。

 ずいぶん物騒な「妄想」かもしれない。が、私に言わせればこれは歴史から学んだことだ。戦争前日本はナチスと同盟を結び世界戦争への道を歩んでしまった。不況で万策尽きた日本にとっては国家社会主義をとるヒトラーのような独裁者の行動は魅力的に見えたのかも知れない。が、ナチスユダヤ人迫害をもし国民が知っていたなら、はたして同盟を組む気になっただろうか。同じように中国政府の、チベット人ウイグル人に対する数百万の「大虐殺」、そして毛沢東を初めとする歴代の共産政権が行った数千万とも言われる自国民に対する「大虐殺」を看過していいのだろうか。経済発展を続けているかに見える中国の本当の姿。それはもしかしたら「赤いナチズム」かもしれない。

 理想をとるか現実に妥協するか。それとも・・・・。中国政府に対する姿勢は我々日本人の心の奥をも照らしてしまうようである。