【団塊ひとり】NHK朝ドラ「カーネーション」の主役交代と視聴率

 NHKの朝ドラ「カーネーション」が終了した。初めて一回も休むことなくNHKの朝のドラマを見た。もっともビデオに撮ったり夕方のBSの再放送で見たりだったが。視聴率も20%近くあったらしいが、再放送や録画を入れるともっと多くの人が見ていたのではないか。

 私のような男の高齢者でもなかなか面白いドラマだった。たしかに、「おひさま」の上品で落ち着いた日本語の響きの後で、あまりにも強烈な岸和田弁?を聞かされてしばらく苦しかったときもあった。が、それもなれてくると、どんどんドラマの世界に入り込んでいった。尾野さんの「熱演」だけではなく、脚本の魅力も大きい。

 私には、尾野真千子さんは2009年にNHK広島放送局が制作し、国内やモンテカルロテレビ祭などで受賞した名作「火の魚」の主人公折見とち子さんの印象が強い。視聴率はカーネーションの半分程度だったが、静かで、しかし自分をはっきりと主張して、意地悪な老作家の要求に堪える名演だった。末期ガンで入院した主人公を訪れた老作家が、自分の非礼を心から詫び、花束を渡すとき不覚にもホロリとしてしまった。カーネーションの糸子と全く正反対の静かな演技だった。あらためて尾野真千子さんの役者としての実力を再認識した。私ごときが言うことではないが、中学3年の尾野さんを「発見」した河瀬直美監督の目の確かさの素晴らしさにもあらためて感心した。

 ネットを見ていると交代した夏木マリさんの演技や後半の筋立てに不満を感じる人もいたようだ。主役が交代した3月は蛇足だ!と決めつけた意見もあった。逆に、主役の交代は当然という意見もあった。なかでも「NEWSポストセブン」というサイトは、「カーネーション主役交代 尾野真千子が老け役演じられぬ理由」と題して「篤姫」の宮崎あおいと比較して次のような意見を述べていた。

 (前略)主人公・糸子演じる尾野真千子の演技。その力はドラマ開始直後から絶賛されてきました。青春期〜戦争下と、彼女の演技力がドラマを引っ張ってきたことに反論する人は少ないでしょう。
 しかし。ドラマを見続けている視聴者としては、たしかに糸子の中年役はつらい。尾野真千子がそもそも関西出身ということもあって、岸和田弁は超リアル。コテコテの関西のりがあまりに「馴染みすぎている」。それが朝には似合わない、重たすぎる、という声が聞こえてくるのです。(中略)数年前、絶大な人気を集めた大河ドラマ篤姫」。ヒロインを演じた宮崎あおいは、童顔そのもの。年をとる設定は難しいのでは、と思いきや、最後まで自然に演じ切りました。
 視聴者も違和感なく、年を重ねた「篤姫」を受け入れ、感情移入しながら見続けることができたのです。尾野真千子宮崎あおい、いったい何が違うのでしょう。
 30代の女優が老け役を演じるために一番必要なこと。それは、「役柄」に入れ込むのではなくて、一歩ひいて、役と自分との間にしっかりとした距離感をとることではないでしょうか。
 演じている役と自分との大きな差異を、冷静に測り、確認できればできるほど、リアリティのある年寄りが演じられる。
 今回の尾野真千子の場合、関西おばちゃん役がハマリすぎ。「役柄」に没入し一体化しすぎて、むしろフィクション性に欠けているとすれば。老いた母の役を安心して託すことができない理由も、そのあたりに見つかるのかもしれません。(後略)

 私は夏木マリさんの演技に違和感を感じなかった。むしろ50代で見事に90前後の老人を演じきったと感心している。いくら常人とは異なる個性を持つといっても、80代を過ぎると、展開にスピード感や意外性がなくなるのも仕方がない。

 他のサイトが触れていないようなので書くが、終了に近づいた回で末期のガンに冒された女性が出てくる。クスリによる脱毛を隠すためだろう帽子をかぶっている。その姿を見て私は尾野真千子さん演じる「火の魚」の折見とち子を思い出した。そっくりなのである。最初は尾野真千子さんが出ているのかと思ったが、違った。そこで思い出した。「火の魚」も「カーネーション」も脚本は同じ渡辺 あやさんだった。見方によれば病院のファッションショーは同じ末期ガンにかかった「火の魚」の主人公の後日談の様相を帯びたように感じられた。

 このような「しゃれっ気」が感じられたことも、私が最後まで鑑賞した理由の一つかも知れない。