【団塊ひとり】猫ひろしは五輪を辞退すべきか?

 毎日が日曜日状態になってお昼のバラエティをよく見るようになった。最初は比較の意味もあってTVを3〜4台同時につけていたが、同じ題材、同じような切り口が多くて最近はやめている。が、TV視聴で初めて知ったのがオセロの中島さんと「猫ひろし」という「芸人」だ。その「芸人」がカンボジア国籍を取って五輪に出るという。しかしそれには賛否両論あるようだ。

 猫さんのブログを見ると

このたび、私猫ひろしカンボジア王国カンボジアオリンピック委員会より連絡があり、2012年ロンドンオリンピック(出場種目:マラソン)にカンボジア代表として決定したと報告頂きました。
沢山の方のご支援ご理解ご協力に心より感謝いたしますとともにカンボジア王国の代表として全力で走ります。(2012年03月28日【猫ひろしドットコム】より)

死んでも国籍を変えるつもりのない私は、「カンボジア王国の代表として全力で走ります。」と断言するからにはよほどの事情・きっかけがあったのだろうと想像した。たぶん生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたとき、カンボジア人に助けられたとか励まされて生きる勇気をもらったとか、陳腐だがそんなことを夢想したりした。

 しかしTV報道を見る限りそれほどの切実な体験はなさそうだ。また走っている映像を見てもサービスのつもりか、ときどきギャグを入れている。マラソン選手としても違和感を感じた。やがてネットで彼が批判されていることを知った。いくつか引用する。

 スポーツ選手が国籍を変えるのはままある話だが、猫さんのマラソンの実力はそれほどではなく、カンボジアの有力選手の出場枠を「奪った」ようなもので、カンボジアに貢献するどころか恥をかかせてしまうことになりかねない。(中略)猫さんは2012年3月26日にオリンピック出場の会見を東京都内で行った。ここでは「あくまで芸人として五輪の舞台に立つ」ことを宣言した。スタートの「ニャー」で勢いをつけ、ゴール後に最高の一発芸をかますのだと言う。(JCASTニュース 4月2日より)

「今も頑張っているカンボジアの選手に出場してほしかったし、日本人に代表を譲る選手を思うと悔しい」(有森裕子さん)
作家の曽野綾子さん(80)は「週刊現代」の2012年3月17日号で、猫さんがカンボジア人になれば五輪に出られると決めていたとすれば、あまりに軽くて、常識的な人間だったら考えられない行為だ、と批判している。国籍を巡るエピソードはその人の生涯をかけた命がけの選択だ、と強調してこう語る。「五輪の後に日本国籍を取戻そうという安易な心づもりであるならば、その軽薄さには、日本人もここまで堕ちたかという感じですね」(JCASTニュース 4月2日より)

 「まさか彼が選ばれるとは思わなかった。カンボジア国民すべてとはいわないが、大半がいい気持ちではない。彼は現地に住んでいないし、我々の文化を理解していない。ただ、オリンピック選手になりたいからという理由で国籍を変更して、1人の選手からその座を奪ってしまったのです」カンボジア最大の英字紙『プノンペン・ポスト』のスポーツ記者はこう憤る。
“その座”を奪われたカンボジアの英雄、ヘム・ブンティンもまた怒り心頭の1人だ。
「ブンティンは我々の取材に『ほんのわずかなタイム差(92秒)で僕に勝った彼が選ばれてしまった。彼はカンボジア人ではあるが、カンボジア人ではない。こういう陸連の決定には不満だ』とはっきり答えています。ブンティンは貧困層からの叩き上げで、国民にとって彼の成功は勇気やドラマに溢れていたんです。それを横から日本人が奪ってしまったように国民には映ったはずです」(同前)
(NEWS ポストセブン 4月3日より)

 カンボジアは私にはクメールルージュ(カンボジア共産党)が実施した自国民の大量虐殺のイメージが強い。独裁者ポルポトの名とともに頭に刻み込まれている。また愛国心も強く、自分たちを「蔑視」したという理由でベトナム内の村に侵攻し村民を大量虐殺している。また、映画「キリング=フィールド」に自国民の大量虐殺の一端が描かれている。

 ヘム・ブンティンさんの発言によれば、猫さんはカンボジア人の「誇り」を傷つけてしまった。それがどのような意味を持つか猫さんが自覚しているとは思えない。

 猫ひろしは五輪を辞退すべきか?その当否はともあれ、少なくとも五輪期間中はカンボジア国民として、TVで披露しているようなつまらない泡沫ギャグは慎むべきだ。ましてや競技中に低レベルのギャグを連発して、マラソンという競技や選手たちを「侮辱」する行為に走らないように願いたい。

 古いやつだと思われるかも知れないが、私にとってマラソンは、特に五輪のマラソンは全身全霊を傾けて参加するものだ。その結果、その重みと責任感に堪えきれず円谷幸吉氏のように自殺することもある。悲しい出来事だが五輪マラソンはそれほどの重みがあるのだ。ゴールで倒れ込む川内優輝さんの姿が胸を打つのは全力を尽くしたという姿が感じられるためだ。もし彼がゴール後「だめでした、ワンワン」とかくだらぬギャグを連発したら、だれも彼を支持しなくなる。観客というものは非情なもので、勝手に自分の気持ちを入れ込んで、それに反するものを排除しようとするからだ。

 誰も猫さんの「記録」に期待などしていない。猫さんの「走り」に「感動」など求めてなどいない。ただ、猫さんには五輪で走るからには、話題作りの三流「芸人」としてではなく、少なくとも「アスリート」の末端として真摯な姿勢を貫いてほしい。それが選ばれなかった選手への敬意の表現であり、「人間」として当たり前の姿である。でないと、想像を絶するバッシングが押し寄せる可能性がある。カンボジアにも日本にも自分の居場所がなくなるおそれがある。そのことを自覚してほしい。なによりも日本に悪影響が生じるおそれがある。猫さんは自分はもう日本人じゃないから、そんなことは知ったことではないと思っているだろうが、日本人は迷惑だ。

 今は日本人であることを「捨て」カンボジア国籍を取得した猫さんには、カンボジア人としての「誇り」を持って行動してほしいと願うばかりである。