【団塊ひとり】 本当は感謝すべき?  李明博の竹島上陸と韓国映画「ユ・リョン」

 北朝鮮赤十字や一部マスコミを通して日本に働きかけている。特にTBSは北朝鮮の故金正日総書記の元専属料理人で、今年の7月に平壌に約2週間滞在して金正恩と会食したという藤本健二氏(仮名)を番組に長時間露出させて一方的な北朝鮮賛美を展開している。何らかの関係があるかは不明だが、逆に日本と南朝鮮(韓国)との間が冷えてきている。

 南朝鮮との急速な関係冷却は直接的には李明博竹島上陸だ。政権末期の大統領が迫り来る逮捕から逃れようと、いよいよ「反日全体主義」に逃げ込んだ結果だ。彼は大統領として天皇を「日王」と公然と侮辱し、それだけではなく謝罪と土下座を要求するという非礼を犯した。李明博はいわば「パンドラの箱」を開けてしまった。これで彼は南朝鮮では愛国大統領として、前任の大統領のように自殺するような境遇に追い込まれないと安心していられるだろう。ただ、今回は天皇陛下を侮辱したことで、日本人の心に消すことの出来ない怒りと南朝鮮に対する軽蔑をもたらすことになった。浅はかなことをしたものだ。彼は自分の保身のために二国の未来を損なってしまった。その結果、単なる政治問題であった竹島が、修復が困難な宗教的な「こころ」の問題に転化してしまった。天皇が侮辱されたときの日本人の心情は朝鮮人にはわからない。

 いずれにしろ南朝鮮が日本と共に未来を語ろうとする気がないことがはっきりした。李明博以後の大統領は「愛国的」な世論に押されて、誰であっても「竹島参り」を欠かせなくなったし、そのたび日本との関係は冷却していくだろう。日本と南朝鮮との民間の交流も再考されるだろう。どこかの国の高笑いが聞こえてくる。

 今回の南朝鮮の態度が示すものは何か。それは彼らがもはや外交的な努力だけでは竹島を絶対に返還しない、という決意を日本人に示したことだ。悔しければ自分たちがしたように武力で奪い取ってみろ、と日本国民に挑戦状をたたきつけたことだ。私には、力を持たないもの、自己主張をしないものに対して横柄な権力をむき出しにして「弱者」をあざ笑う朝鮮人の高笑いが聞こえてくる。歴史的に見ても、強者には極端に卑屈になる朝鮮人が「弱者」にどれくらいひどいことをするか「大津のいじめ事件」で日本人は思い知っているはずだ。

 李明博竹島の帰属を東洋のフォークランド諸島方式の解決方法しかないと明示したことの意味は大きい。フォークランド諸島の帰属を巡る交渉は、結局イギリスとアルゼンチンとの軍事衝突を招いた。戦後民主主義教育の最大の失敗。それは教室で暴力とセックスをまじめに扱わなかったことだ。それらをコントロールすべき方法をまじめに教えなかったことだ。話し合いがすべてを解決できるという根拠のない妄説を子供たちに植え付けたことだ。もちろん「話し合い」は大切だ。が、ヒトラーに向かって「ユダヤ人を差別するのはやめなさい」と言って、本当にヒトラーが意見を撤回するだろうか。朝鮮併合はいやだから、日本人帰ってと懇願したら日本人は帰っただろうか。帰らなかったから、違法な手段をつかってでも、南朝鮮竹島を武力で占有しているのだ。日本人もそろそろ甘い幻想を捨て去るべきだ。

 しかしいま武力衝突は憲法の制約があって出来ない。日本政府、そしてこころある日本人がいまなすべき事は、竹島の正しい歴史を意見広告という形で世界に、特にアメリカ人に対して持続的に主張すべきだ。日本海における武力衝突はアメリカの世界戦略にも大きな影響を及ぼすからだ。

 日本は、沖縄を初めとする日本国内の基地を失ってまで南朝鮮に肩入れをするのか否か、それをきめ細かくアメリカの世論に働きかける努力が必要だ。そのために日本人得意のアニメやブログやユーチューブなどを利用して世界に発信してゆくべきだ。そして国内では、日本の領土に対して融和的な態度をとるマスコミ・政治家や経済人・芸能人の発言を無批判に許すようなことをしてはいけない。また、教育の世界で尖閣竹島の正しい歴史を教えてゆく機会を義務づけるべきだ。

 いま私は昔見た南朝鮮の映画「ユ・リョン」(幽霊)を思い出している。ロシアから購入したコードネーム「幽霊」という核潜水艦が、日本を核攻撃しようとし、それを防ごうとする南朝鮮人の主人公との間に死闘が行われるという筋書きである。ユーチューブで今でも見ることの出来る予告編では、次のような会話が頻繁に飛び出ている。「いつまで屈辱的な歴史を生きるのか」「俺たちの運命は俺たちで決める」「我々の歴史は渡さない」そう言って彼らは日本に対する核ミサイル発射ボタンを押そうとするのだ。チョン・ウソン演じるイ・チャンソク元少佐はこれらの動きに対抗して「核で歴史は変えられない。待っているのは報復だけだ」といって自爆の道を歩む。が、その前に彼は「今はまだ早い。もう少し力をつけなければ日本にやられる。報復は我々が真の力をつけてからだ」という意味の言葉を付け加える。これがおそらく朝鮮人の本音だろう。

 李明博は今なら「報復」が可能と判断したのだろう。それに対して日本はどう対処すべきか。いずれにしろ李明博は、日本と南朝鮮との間に容易には抜けない「大きなとげ」を残して政界から去って行く。が、李明博は本当に「浅はかな」だけであったのか。あまりにも幼稚な方法ゆえ、逆に我々はもっと黒い政治的意図があるのではないか、深慮遠謀があるのではないかと思ってみたい。
 
 ロンドン五輪でも実証されたように、個々の力は微弱でも集団になると日本人は大きな力を発揮できる。そのことに日本人は気づいた。それを国際政治でも気づかせてくれたのは李明博だ。日本人が一つにまとまらなければいけないということを実感させてくれたのも李明博だ。実は彼は、自国の世界的な評判を捨ててまで、混乱した日本国の意見をまとめるために涙ぐましい努力をしてくれているのだ。彼のおかげで、次回の総選挙では少しでも中国や朝鮮に親和的な政策を述べる政党は不利になるだろう。憲法改正への道も少しは開けるかもしれない。 それだけでも李明博の功績は大きいし、日本育ちの彼が親日大統領と呼ばれる理由もわかる。

  ともあれ、日本を政治的・軍事的に無力化するという目的で「占領軍」が押しつけた戦後憲法を考え直さなければいけない時期がやってきたと思う。
  本当は日本人は李明博に感謝しなければいけないのかもしれない。