【団塊ひとり】中国における反日暴動の本質 「井戸掘った人忘れない」の心喪失?それとも・・


 あれほど荒れた中国の反日暴動が当局のお触れ一声で見事に沈静化した。あの暴動が中国政府の指導の下に行われたことが証明された。が、中国政府は損害賠償などは一顧だにしないであろう。むしろ石原知事あたりに責任を押しつけようとするだろうし、そして中国の指令を受けた日本人エージェントも同様のことを宣伝するだろう。

 今回の暴動は今までとは明らかに異なっている。マスコミで多く述べられた論評の代表的なものの一つが次のような記事だろう。

パナソニック襲撃 「井戸掘った人」松下幸之助氏への恩を忘れた中国

 中国の反日デモは、日系の工場や商店を放火や略奪の対象にし、日中関係の土台となってきた経済活動を直撃している。パナソニックなど、中国経済の飛躍を助け、「井戸を掘った」功績を中国で認められてきた企業ですら被害を免れなかった現実は、中国ビジネスに影を落とすことが避けられない。
 中国に進出した日系企業はこれまでも、現地の情勢混乱や反日デモの影響で、操業停止などを迫られてきた。とりわけ、中国の民主化要求運動が弾圧された1989年6月の天安門事件や、2003年春の新型肺炎(SARS)の流行では、操業停止や駐在員の国外退避が多数の日系企業に及んだ。
 今回の反日デモは、山東省青島や江蘇省蘇州など、政治的な統制が及びにくい地方都市で暴動に発展した。被害を受けたパナソニックトヨタは、日本の有名ブランドとして現地で親しまれていたことが逆に、暴動の標的となる皮肉な結果を招いた。
 パナソニックと中国の関係は、松下電器産業時代の1978年10月、大阪府茨木市の工場で、創業者の松下幸之助氏が、中国の近代化路線を進めるトウ小平氏(当時副首相)を迎えたときから始まった。
 電子工業分野の近代化を重視していたトウ氏が、「教えを請う姿勢で参りました」と切り出したのに対し、松下氏は「何であれ、全力で支援するつもりです」と全面的なバックアップを約束した。
 松下氏は、改革・開放路線の黎明(れいめい)期に日中経済協力に踏み出した功績で、中国では「井戸を掘った人」としてたたえられてきた。同社が87年に北京で設立したカラーブラウン管の合弁工場は、天安門事件前後の戒厳令下でも操業を続けた。
 今回の事態は、これら過去の功績が、中国での安定した操業を保証するものではないことを印象付けた。中国での企業活動には、「政治」というリスクがつきまとう。日系企業の場合は、繰り返し噴出する反日意識の標的となることが、リスクをより深刻にしている。(山本秀也
                         (産経新聞 9月19日より)

 以上は一部TVでも見られる論評だ。その裏には両者の協力次第で事態は改善されるという期待が潜んでいるように思われる。もちろん、それも可能性の一つだ。が、私はもう少し別なことを考えている。

 私は今、范蠡というひとりの中国人を思い出している。彼は勾践に仕えた中国春秋時代の越の政治家である。勾践は臥薪嘗胆の故事に見るように、呉に敗れた祖国を復活させ呉を滅亡させるためにあらゆる恥辱・艱難を乗り越えてみごと越国を再興させた王である。その功労の第一人者が范蠡であり、同僚の文種であった。が、彼は越国の悲願達成後、密かに越国を脱出している。その時に彼が残した言葉が有名な「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」である。その意味は「必要なときは重宝がられるが、用がなくなればあっさり捨てられる」ということである。

 このような例は中国史では随所に見受けられる。漢の劉邦に仕えた韓信も、明の朱元璋に仕えた 李善長などはその代表的な例だ。中国の近代化に貢献したパナソニックなどの日本企業が感謝されるどころか、徹底して破壊されたのは単純に“井戸を掘った人”の歴史が風化したとばかりとは言えない。日本企業や日本人は、成功して大国になった中国人にとってはすでに「走狗」であり、「良弓」であり不必要な邪魔者に映り始めたのかもしれない。そこに今回の反日暴動の深刻さがある。そのことに日本企業のどれほどが気づいているか。

 さて范蠡は逃亡にあたって文種にも速やかな逃亡を薦めている。が、文種は逃げなかった。その結果やがて彼は謀反の疑いをかけられて殺されてしまう。すでにいくつかの欧米企業は一部撤退を始めている。が、日本企業はまだ中国に進出しようとしている。日本は范蠡ではなく文種のたどった道を歩もうとしているように見える。

 中国からの全面撤退は現実的ではないとしても、明らかに存在するチャイナリスクに対応するために、日本企業はリスクを分散させる方針を早急に立てるべきだ。