【団塊ひとり】NHK朝ドラ「梅ちゃん先生」と「純と愛」

 しばらく見なかったNHKの朝ドラを、人に勧められて「おひさま」の途中から見るようになった。その後「カーネーション」そして「梅ちゃん先生」と、VTRの助けを借りながら見るという習慣がついた。「梅ちゃん先生」は平均視聴率が20%を超えたそうだ。が、ネットでは主婦の評判はよくなかったらしい。たとえば 9月8日配信のNEWS ポストセブンでは次のように伝えている。 

梅ちゃん先生 マスコミで好評もネットでは主婦が酷評の落差

 メディアでの評価と実際の印象に差があることは別に珍しいことではないかもしれないが、ここまで落差が際立つのは稀だ。NHK連続テレビ小説梅ちゃん先生』について、作家で五感生活研究所の山下柚実氏が分析する。

(前略)NHK連続テレビ小説梅ちゃん先生』。何度も見ようとトライしたけれど、なかなかしっかり集中して見ることができない。(中略)「そんなの現実ではありえないわ」、「嘘くさい」、「不自然すぎる」。見ている最中から、自分の口をついて出てくるツッコミ。1回の放送・15分間が、とてつもなく長く感じてしまうのです。ドラマ世界にちっとも没入できない(中略)まず、主人公・梅ちゃん(堀北真希)が医者に見えない(中略)梅ちゃんの母親役(南果歩)も母親に見えないし、義父役(片岡鶴太郎)も職人に見えてこない。一言でいえば、生活のシーンどれをとっても、話し方、手つき、表情、雰囲気などの「リアルさ」が欠如している。お話の「土台」となる前提が崩れている。だから、視聴者であるこちらもフィクション世界に没入できない、というわけです。(中略)
 ところが……。
 新聞や雑誌などのマスメディアでは、「梅ちゃん先生」に対する悪い評判をほとんど見かけないのです。ウエブ上とマスコミ、評価に大きな落差があるのはなぜでしょうか? この差はいったいどこから出てくるのでしょう?(後略)

 納得のゆく論だが、ベストセラーと本の質に必ずしも厳密な相関関係がないのと同じように、ここまで視聴率とドラマの質を比較しなくてもよいのではないか。現役だった頃の私にとって朝ドラはもちろん出勤時間内に見ることの出来ない、いわば視野外の番組であった。再雇用で出勤が遅くなってからは朝ドラは、朝のバラエティ番組と同程度の時計代わりの消費番組に過ぎなかった。歯を磨いたり途中でトイレに行っても気にならない番組に過ぎない。だからネットで述べられた主婦の「梅ちゃん先生」に対する酷評も、同じ感想は持つものの全く気にならなかった。むしろ真剣に見ている人が多いことに驚いたほどだ。

 謗りを受けるかもしれないが、私にとって朝ドラや大河ドラマは、純粋なドラマというより壮大な「電気紙芝居」のような存在だ。ドラマを優れたものにするためには、まず脚本、演出、そして俳優がしっかりしていることだろう。しかし脚本や演出がしっかりしていなくても、それとは無関係にタレントの個性で視聴率は稼げるかもしれない。「梅ちゃん先生」でいえば堀北真希というタレントの存在だ。ただ「梅ちゃん先生」では最終回に顕著に見られたように昭和の映像が随所にちりばめられていたことも視聴率アップの理由だったように思われる。いわば「三丁目の夕陽」の流れだ。ドラマの現実性よりも懐かしさを感じたり自分を重ね合わせてドラマを見た高齢者も多かったのではないか。「梅ちゃん先生」が平成の主婦の現実感とは遠く離れたものであっても、視聴者の多くは「サザエさん」のように作品を見ていたのではないか。現実離れといえば「サザエさん」ほど現実から離れた家族はいない。が、それこそ「サザエさん」の長寿の秘密だ。「梅ちゃん先生」や主演の堀北さんは私にとっては「偉大なゆるキャラ」的存在であった。

 さて新しいNHK朝ドラ「純と愛」の初回視聴率が19・8%に達したそうだ。「初回視聴率では、前作の「梅ちゃん先生」(18・5%)を上回り、最近10作品のなかでは最も高かった。」(産経新聞)私は見なかったが高視聴率をとった「家政婦のミタ」と同じ脚本家のドラマだそうだ。初回だけではわからないが、「梅ちゃん先生」とは違った意味で「非現実的」なドラマになりそうだ。今のところ主人公は独善的でやたらやかましいだけの迷惑な存在にしか映らない。これがどのように変化していくのか、あるいはしないのか。いずれにしろTVの音量は少し下げた方がいいかもしれない。