【団塊ひとり】日馬富士、横綱昇進へ…2場所連続で全勝優勝

 モンゴル出身の大関日馬富士が2場所連続で全勝優勝を果たした。白鳳との決勝戦はTVで見たが、
最近の日本人力士同士の対戦には見られない迫力で、久しぶりに大相撲を味わった気になった。大関の全勝による連覇は、1994年九州場所貴乃花以来らしい。これで横綱昇進は間違いないだろう。日馬富士は贔屓力士のひとりでもあるので二重にうれしい。

 日馬富士は「一日一番、全身全霊で一生懸命、頑張りました。皆さんに感動と勇気、希望を与える相撲を取り続けます」と語ったが、(2012年9月23日 読売オンラインより)素直で、しかも真摯な発言は好感が持てる。

 大相撲は古く閉鎖的な社会だと思われているが、必ずしもそうとはいいきれない。もちろん横綱を頂点とするピラミッドは絶対的な関係だが、それも努力次第で到達可能であって閉鎖的と言えるものではない。国籍も閉じられてはいず、むしろ上位力士の大半が外国人力士に占められている情けない現状である。

 また観客の応援も国籍で差別するようなことはない。日馬富士が優勝したときも、日本人の観客はこころから声援を送っていた。その意味で大相撲は世界に誇るべき存在である。

 これが外国だったらどうだろう。たとえば南朝鮮でテコンドーの試合が行われたと仮定する。その時優勝を争う選手が日本人同士であったら、南朝鮮の観客は決して日本人を応援しないだろう。サッカーやバレーボールやフィギュアの試合を見ても、彼らは日本人選手に対して罵声を浴びせこそすれ決して心からの応援はしない。まして白鳳も日馬富士も七〇〇年前に日本を侵略したモンゴルの子孫である。中国や朝鮮だったらそもそも試合に出ることさえ不可能だろう。

 日本人がしばらく優勝しないのは、残念ではあるけれど多くの日本人がモンゴルの青年の優勝を褒め称える姿は、一服の清涼剤のように感じられた。日本人は当たり前のように思っているが、これは中国人や朝鮮人が絶対にまねできないことだ。

 李明博が何の配慮もなくひっくり返した悪意のパンドラの箱。もし、そこにわずかばかりの「希望」を見つけようとするなら、我々のこうした公平な姿勢を常に発信してゆくことだろう。官製ではなく、偽善ではなく、お仕着せではない、こうした自然な行為はやがて敵性人にも受け入れられるだろうと信じている。