【団塊ひとり】穴埋め問題に正解はあるのか?スーパーマンが新聞記者を辞める理由。

 思い出せば学校の試験ではよく穴埋め問題が出題された。多くは教科書の文章をそのまま使用したものだ。我々は暗記してきた事項を疑わずにそこにあてはめて解答した。その単純な形式に疑問を持たなかったのは、暗記する努力が点数に結びつくという「よろこび」が簡単に得られたからだ。しかし暗記を中心とする勉強法は、想像力を発展させたり、疑問を抱かせたり、批判力を養成するという方向には決して発展してゆかない。今から考えればその勉強法は一種の「洗脳」的な性質を持っていたと考えられる。

 適語補充式の穴埋め問題にも、ふさわしいものとそうでないものがある。ふさわしいのは答が一つであり、ふさわしくないのは、様々な条件によって答を一つに絞ることが出来ない種類の設問だ。例えば

   100に100を足すと、その合計は(   )になる。

 という空欄の答は200である。これに異論を挟む人はいないだろう。我々の日常的な10進法の世界では誰も疑うことの出来ない論理的な真実(約束)だから。これは答を「一つに絞れる」模範的な問題だ。が、2進法の世界では11001000になり、さらに8進法では310、12進法では148になり、10進法とは全く異なる答になるそうだ。だから、もしこれが10進法以外の問題ならば200は不正解になる。だから、本当は与えられた条件なども確認しなければならない。性格の悪い教師や詐欺師なら、先の問題を勝手に10進法と思い込んだ「おまえが悪い」といって、×をつけるかもしれない。前提条件が異なっていれば、そこから導き出される「正解」が異なるのは当然である。ただ、学校という狭い空間の常識はそのようなトリックを許さないので、従順な生徒ほど受け身の習性が身についてしまっている事に気づかない。さて、次の問題はどうだろうか。

【問】次の文章の空欄に「日本」または「中国」を入れて文を完成させよ。

 現在、日本と中国の間ではさまざまな問題が発生していますが、基本的には(   )が尖閣諸島に対する姿勢を正せば関係は戻る」と考えられます。

 この答は一筋縄ではゆかない。多くの日本人は「中国」と答えるだろうし、多くの中国人は「日本」と答えるだろう。実はこの問題は27日の時事通信の記事を参考にして作成したものである。ちなみに記事を使用して穴埋め問題を作成してみた。先の問題と同じように「日本」または「中国」を入れて文を完成させてみよう。

( ① )が正せば関係は戻る」=尖閣問題で( ② )外務次官
( ③ )外務省の××次官は26日、沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題について( ④ )を含む一部の内外メディアと記者会見し、( ⑤ )側の立場を説明するとともに、( ⑥ )が実際の行動で誤りを正してこそ、両国関係は正しい軌道に戻る」と訴えた。

 さて多くの「常識的」な日本の学校では正解は次のようになるはずだ。
   ①中国 ②日本 ③日本 ④中国 ⑤日本 ⑥中国
 ところが中国や一部の日本の学校では正解は逆になるだろう。
  ①日本 ②中国 ③中国 ④日本 ⑤中国 ⑥日本

 なお27日の時事通信の記事では正解は①日本 ②中国 ③中国 ④日本 ⑤中国 ⑥日本 と、中国の学校と同じになる。

 日本の通信社や新聞は、基本的には与えられた「事柄」や「声明」を無批判に、あるいは表現を美化するならば「客観的」に「報道」する姿勢を見せる。その結果、新聞社は無意識的に、あるいは意図的に一方に都合の良い情報を宣伝する役割を果たしてしまうことになる。その最悪の例が戦前の大本営発表の無批判な垂れ流しであり、結果としてマスコミは戦争に協力する形になったが、だがその反省を表明している新聞社はほとんど存在しない。

 近くで言えば、遠隔操作型ウイルスによる感染被害の報道である。警察のミスばかりが大きく報道されているが、あのときマスコミはほとんど誤認逮捕の可能性に言及していなかった。マスコミは警察発表をそれこそ「垂れ流し」て報道した。そしてそれに対する反省は、あまり見られない。あのとき新聞は次のような一文を書き加えるべきだった。

 ・・・・「犯人」は逮捕されたが、これで問題が解決したわけではない。なぜなら、ネット上の犯罪には常に「なりすまし」の可能性が潜んでいるからだ。それを検証しないと無実の人を冤罪に陥れることになる。「なりすまし」の可能性の有無を検証してからでないと「容疑者」を真犯人と即断することは出来ない時代になった。今回の逮捕はその検証を行った上での逮捕なのだろうか、疑問が残る。・・・・

 記者クラブを中心とした日本の記者活動では、こうした記事を書くことは事実上不可能だ。もしクラーク・ケントが日本の新聞社に勤めていたら、やはりこう言うだろう。

 「これまで私は、言論を行使すれば川の流れも変えられると教えられてきた。闇に包まれた秘密も白日の下にさらすことができると」「それなのに、事実は意見に置き換えられ、情報は娯楽に置き換えられた。記者は速記者になってしまった。ニュースの現状にうんざりしているのは私だけではないはずだ」

 我々が記者に期待するのは単なる速記者ではない。クラーク・ケントの目指すように、自由に意見が述べられるブログが新聞報道を補完する時代がやってきたのかも知れない。