【団塊ひとり】地球温暖化防止と原発廃止運動 しろくま君の手紙


 天王寺動物園にいる「しろくまくん」に、北極から渡り鳥を介して久しぶりの「たより」が届いたらしい。

 バフィンくん、お久しぶりです。きみの国が地震、そしてその後の大きな津波で大変な被害に遭ったことをまずお悔やみします。渡り鳥のジョンの連絡で知ったときは驚きました。たくさんの人間や動物がなくなったそうですね。でもどうやら君は無事だったようでとても嬉しく思いました。

 こちらはだんだん暖かくなり、氷も少しずつ溶けています。そのせいでぼくの大好きなアザラシもなかなかつかまりません。氷が少なくなるとアザラシが逃げるチャンスも増えるからです。海の中では彼らはすばやく、ぼくには手も足も出なくなります。毎日が空腹です。ずいぶんやせました。気持ちもなえてきました。最近は人間の捨てたゴミの中にあるわずかばかりの食べ物を探しています。惨めな気持ちです。むかし動物園にいるきみのことを自由がないとか、奴隷根性だとかからかっていたけれど、いまは素直にうらやましく思っています。ぼくは変わってしまいました。

 あなたの国はどうなったのですか。あれほど北極にいるぼくたちのことを思って、氷が溶けないように努力してくれていたのに、最近はすっかり忘れてしまったようですね。放射能がどういうものかぼくは知りません。でもかつては温暖化を防ぐ切り札として宣伝していたではありませんか。とにかくいまぼくは生きることが大変です。これ以上氷が溶けてゆくともうぼくは生きてゆく自信がありません。
どうか弱いぼくのために祈ってください。
  
 天王寺しろくまくんが、このたよりを聞いてどんな感想を持ったのか。どのような返事を渡り鳥のジョンに託したのか、私は知らない。ただ、事情はあるとはいえ、あれほど熱心に地球温暖化を防ぐ有効なツールとして原発を推進していたのに、手のひらを返して拒否反応を示しているこの国の急激な変化に驚いているばかりだ。

 確かにフクシマの事故はあまりにも衝撃的な事件であった。が、冷静に考えればこの事件は二つの事実を示している。まず原発に対する安全神話の崩壊。「専門家」や政治家の保証は、絶対的なものではなかったこと、そしてその後の対応に関連してわき起こった学者や民主党政府に対する不信の増大。

 しかしもう一つの要素も忘れてはいけない。原発反対者は事故が起これば数万人が死亡し付近は永久に死の土地になると言ったが、現時点で居住は制限されてはいるものの、大量の死者が出る事はなかった。もちろん原発が安全だとは言っていない。ただ賛成者・反対者ともその主張に誇張が含まれていたことは無視してはならない。

 3/11の大津波を受けながらある小学校は一人の被害者も出さなかった。が、ある学校は七割以上もの子供達が犠牲になった。この違いは何か。どこに原因があるのか。完全な総括はまだ終わっていない。同じように福島の事故の総括もまだすんではいない。同じ津波災害を受けながらなぜ東北電力原発は無事だったのか。福島の事故は本当に避けられないものだったのか。電気系統が正常に働いていてもあのような事故は起きたのか。10年以上も前からさまざまな問題を起こしている東京電力の体質と関連はないのか。これらに対してまだ結論は出ていない。

 私は、かつて南方のある島にマングースが持ち込まれたことを思い出している。マングースはハブを駆除する切り札として期待された存在だった。が、その結果どうなったか。昼行性のマングースは夜行性のハブと出会うことは少なく、結果としてマングースの狩りの対象となったのは予想外の動物、つまり家畜のニワトリや天然記念物のヤンバルクイナであった。科学者や役人は専門的な知識は持っているかも知れないが、総合的な視野を持たない限りそれは机上の空論になり、むしろ害をもたらす危険がある。市民運動にも言えることだが総合的な視野にもとずかず出した結論が「想定外」の結果を引き起こす危険も高い。

 困難な問題を根本的に解決しようとすれば回避の思想ではなく、問題を克服する方向に動くべきだ。そのためには○×式の単純な思考から抜け出して複合的・総合的な視野を持つべきだ。三年前に圧倒的に民主党を支持した国民が、今や手のひらを返して民主党に冷淡である。民主党に対する国民の批判は当然ではあるが、選挙民が己の見識のなさを反省しない限り同じ事が発生する。一つがだめなら次のものを。安易な「回避」を繰り返すだけでは物事は解決しない。

 同じ理由で私は安易な中国進出は反対である。安易な技術移転がどのような結果をもたらすかはわかっていたし、結果として悪い結果になってしまった。が、だからといって簡単に中国市場を捨て他のアジア諸国に転移することも無条件に賛成できない。ただ、労働賃金が安いと言うだけの進出ならばやがて中国で発生したことと同じようなことが起きる可能性があるからだ。もちろん反日リスクは軽減されるだろうが。が、回避の姿勢をとり続ける限り解決は先送りされるだけで、やがて同じ困難にぶちあたる。

 原発はもっと多様な視点から判断すべきである。確かに原発は危険な「諸刃の剣」である。が、いま即座に原発を無くして日本の経済は立ちゆくのだろうか。原発関連の会社に勤めていた人達の大量解雇による失業者の増大をどのように受け止めてゆけばいいのか。そのことを考えに入れながら個々の原発についてその存在の是非を確認すべきではないか。

 原発反対が複合的な判断のもとではなく単なる感情に導かれた回避運動にすぎないとしたら、日本の未来は悲観的であると言わざるを得ない。原発推進と即時の原発廃止。国民の安全と経済発展。どれが「マングース」でどれが「ハブ」なのか。いずれにしろ日本をヤンバルクイナにしてはいけない。