【団塊ひとり】「崩れ落ちる兵士」をめぐって R・キャパとゲルダ・タロー


 2008年の1月27日のニューヨーク・タイムス(日曜版)に、失われたはずのロバート・キャパのスペイン市民戦争のネガ3500点が発見されたという記事がでていたらしい。(山崎幸雄氏ブログ「不良老年のNY独り暮らし」より)

キャパのスペイン市民戦争の写真と言えば誰でもが思い浮かべるのが代表作「崩れ落ちる兵士」という一枚の写真である。兵士の死の瞬間をあれほど間近に、しかもほぼ斜め正面からとらえた写真に若い頃の私は感動したことを覚えている。被写体を正面から捉えることは、敵に背中を見せる、つまり無防備の姿勢をとることだ。ノルマンディー上陸作戦でもキャパは「ちょっとピンぼけ」だが兵士の顔を正面から捉えている。背後からドイツ軍の機関銃の弾丸が飛んでくるさなかである。若い私は身の程知らずにも戦争写真家に憧れたものだ。

 ところが前後の写真のネガは発見されているのに「崩れ落ちる兵士」のネガが見当たらないそうだ。
先ほどのNYタイムスの記事は「キャパのネガが発見されたことで、スペイン戦線でキャパの公私にわたる同志だった女性写真家ゲルダ・タロの作品の再検討が進んでいる。キャパとタロは共同クレジットで作品を発表したこともあり、キャパのものと思われている写真のうちに、実はタロの作品があるかもしれないというのだ。(中略)「『崩れ落ちる兵士』がキャパではなくタロが撮ったものだという可能性もまったくないわけではない」(山崎幸雄氏ブログ「不良老年のNY独り暮らし」より)

 NHKがこの「崩れ落ちる兵士」の本当の撮影者について、興味深いドキュメンタリーを放映している。

 ドキュメントの主題は、兵士の死の瞬間をとった有名な写真が、実は戦争中ではなく演習中のたんなる横転事故の瞬間であり、しかも撮影者がキャパではないというところにある。撮影場所や撮影時日の確認はすでに検証が行われていたようなので、ドキュメントのどこまでがオリジナルなのか私にはわからない。

 誰があの兵士の写真を撮ったのか。沢木耕太郎氏によるとキャパの恋人ゲルダ・タローという女性らしい。ドキュメントは様々な人の証言や、再現シーンを入れて実証的に展開している。説明を聞いていると、なぜ大切なネガが消滅したのか。なぜ生前キャパは写真について多くを語ろうとしなかったのかも理解できる。

 デジタルカメラに慣れた人間から見ると、どうして撮影者がキャパではなくタロと限定できるのか不思議だろう。だが、フィルム時代を知っている者には簡単に識別できる方法がある。当時キャパが使用したカメラはライカⅢ、タロが使用していたとされるカメラは「二眼レフ」のローライフレックス・スタンダード。この2機種は使用フィルムに違いがある。前者は35ミリフィルム。後者は日本でブローニーと呼ばれた12枚撮りの120フィルム。120フィルムは6×6センチ。35ミリフィルムは名前のとおりフィルム幅が35ミリであることから、ネガを比較すれば両者は簡単に識別できる。

 父が写真を趣味にしていたので、幼稚園の頃私が持たされていたのは、ドイツのツアイス・イコンが出したベビーボックスというおもちゃのようなカメラだった。二眼レフは高校の時に2台ほど使用したが、ローライは高くて手が出せなかった。高校生当時もっとも愛用したのはキャノネットという大衆向けの35ミリカメラ。二眼レフはずっしりとした感じで、風景写真やポートレートを撮り、引き延ばしするには最適なネガだ。しかし予測不可能で急激に変化する動体を捉えるには不便なカメラと思われる。大きく重く、何よりフィルム交換が不便だ。緊迫した戦闘写真を撮影するには避けたいカメラのように思われる。だからキャパは扱いやすいライカを使用したのだろう。

 だが、残されたプリント写真から想像すると「崩れ落ちる兵士」はどうやら120フィルム使用のカメラで撮影されたらしい。だとすれば撮影者はゲルダだ。それがなぜキャパになったのか。

 写真が発表される直前ゲルダは戦場で命を落としている。その代わりに今まで知られていなかった新しい戦場カメラマンキャパが誕生した。キャパの本名はフリードマン・エンドレ・エルネー。当初「キャパ」という名前はいわばゲルダとの共同クレジットだった。当然その中にゲルダの写真が混じっている可能性がある。共同クレジットなら「キャパ」を名乗ることは必ずしも虚偽とはいえない。が、生者を死者扱いすることは完全な虚偽である。

 兵士が死んでいないのだとしたら、雑誌の表紙になりさらにライフに掲載された写真に気づいた可能性はある。ライフ掲載の写真には「ROBERT CAPA'S CAMERA CATCHES A SPANISH SOLDIER THE INSTANT HE IS DROPPED BY A BULLET THROUGH THE HEAD」という説明が付されていた。だとしたら、被写体や関係者はもしかしたら次のような会話をしていたかもしれない。

 「おい、この写真を見ろ。これはお前じゃないか」
「本当だ」
 「ちょっと待てよ、この解説ではお前は死んだことになっている」
「冗談じゃない、俺はこうして生きているぞ」

 ではなぜ被写体となった「兵士」はそれを訴えなかったのか。

 しかし、なにより撮影者自身は真実を知っているはずだ。が、それらは公にされることはなかった。そして写真は以後ファシズムとの戦いを象徴する写真として、半世紀以上も世界に喧伝される宿命を担うことになる。

 あの一枚は是非必要だったのではないか。「横転する兵士」ではなく「崩れ落ちる兵士」が必要とされたのだ。一枚の写真に対する評価は、そこに込められた時代の大きな要請から生まれたものかも知れない。あの写真は真実を報道したのではなく、反ファシズムを訴えるための強力なプロバガンダ写真として利用されたのだ。キャパの沈黙は強制されたものかも知れない。キャパの苦悩をわれわれは知らないでいたのかも知れない。

 私はキャパの写真が好きだ、生き方に憧れたこともある。キャパは魅力的な人物だったのだろう。彼とバーグマンとの出会いと恋。そしてそれを題材にして作られたヒッチコックの映画「裏窓」。「崩れ落ちる兵士」が彼の作品ではなかったとしても、後の戦争写真はまさしく彼の作品だ。キャパに対する尊敬は変わらない。

 写真と言えば団塊世代は一度は見たであろう、「日本兵」とされる集団が南京の「中国人」を穴埋めにしている映像。かつては何度も放映されていたが、最近は見かけない。民衆を穴埋めにするといえば、楚の項羽が20万人以上の秦兵を穴埋めにして殺した歴史が思い出される。項羽だけではない。人間を生き埋めにするのは中国の歴史にはよく出てくる行為だ。

 さて、日本兵が中国人を生き埋めにしたとされる南京の映像は本当は誰がどこで何のために制作したのか、そしてなぜ最近は放映されないのか。もし日本人が撮影したとしたら、戦争犯罪の証拠となる記録をなぜ残したのか。もし中国人だとしたら、どうして盗み撮りではなく、あのような絶好の場所でどうどうと「事件」を撮影できたのか。日本人はその顛末を正確に知る必要がある。本当は誰の行為なのか。そもそも本当にあったことなのか。それともプロバガンダ映像に過ぎないのではないか。子孫のためにも明らかにすべきだ。

 現在に生きるわれわれは「英雄」の神話を打ち破ることも必要かも知れない。NHKのドキュメントは素晴らしい内容だった。しかし南京の写真にまつわる疑惑を正すことはもっと重要だ。なぜなら日本人全体の信頼に関わることだから。もし偽造・偽証・ねつ造に基づく偏見に満ちた人種観・国家観を押しつけられているとしたら、それを正すことがジャーナリストの使命ではないか。

 情報の無批判な受け売り、垂れ流しはもはやジャーナリズムとはいえない。国民から高い受信料を取り、自ら高給を受けているNHKには果たすべき役割があるはずだ。

※ 今回のブログは3日のツイッターの「つぶやき」を拡大したものです。