【団塊ひとり】技術は誰のためにあるのか 4KTVは商品として成功するか。

最近「技術・技術」と日本の技術の先進性を強調しすぎてはいないか。携帯電話という「技術」を確立したのは日本。が、世界的な商品として売り出すことに成功したのは日本ではない。デジタル世界では多少の技術など簡単に模倣されてしまう。アナログ時代の感覚でいたら、またひどい目に遭う。

いくら優れた技術を持っていてもそれを生かすマネジメントが劣っていては何にもならない。技術があっても簡単に盗まれるような体制にあれば、成果を簡単に奪われてしまう。技術の優位性を保つ環境、守る体制、それを商品として成功させる能力が無ければ、折角の技術も力を持たない。

KTVは優れた技術の産物だ。だが、いま多くの人が必要とする技術なのか。4KTVは商品として成功するのか。4Kの技術もすぐに追いつかれるだろう。それまでに、もし商品として成功しなければ、その時に責任を負うべきは技術者ではなく経営者である。

ロボット技術では日本は世界最先端らしい。が、原発事故の時、原子炉内を探索できるロボットは日本にはなかった。探査ロボットの作成くらい日本の技術では簡単なはずだ。なぜ日本に存在しなかったのか。技術の生かし方に何か欠陥があるのではないだろうか。

いいアイディアを持っている若者やユニークな企画がなかなか採用されないのは、会社の上層部に責任がある。自分の理解できるものしか認めないから、いつまでたっても新しいもの・独創的なものが出ない。成功している企業はみな上層部の頭が柔軟である。

相撲だってそうだ。モンゴルの力士は思いもかけない技を出してくるが、日本の力士の大半は押し相撲だけとか、型が決まっている。たぶん親方の指導を真面目に受け止めて指導通りに動くからだ。だから、いつまでたっても親方以上の存在になれない。