【団塊ひとり】新しいNHK連続テレビ小説「あまちゃん」

団塊ひとり】新しいNHK連続テレビ小説あまちゃん

 新しいNHKの朝ドラが始まった。どうしても前作と比較してしまうが、今回は脚本が丁寧で暖かい。今回のドラマの良さのひとつはロケ地を被災地である東北に設定した事だ。地域振興はNHKの役割の一部と思うのでその責を果たしているのもいい印象だ。NHKは受信料という、いわば税金、悪く言えば上納金を国民から取り立てている団体なので民放とは違って活動には制限があって当然だ。厚生費を入れるとNHK職員の平均給与は1800万というべらぼうな高額を取っているだけに、納得のいく活動をする大きな義務がある。「被災地」を売り物にするような番組を作りたくないという意見が一部にあるそうだが、それは間違っている。民放ならいざ知らず、国民から多額の上納金を取っているNHKは、こうした時代であるからこそうまく「被災地」(この言葉が適当かは今は問題にしない)に関心が向くような装置をうまくドラマに取り入れる工夫が必要だ。その意味で前作「純と愛」は変質的なナルシズム、独りよがりに終始して、公共放送としての認識も自覚も何もかも不足していた。責任はもちろん脚本家と彼を推薦した人間にある。 

 NHKの朝ドラや大河ドラマは偉大な「紙芝居」でいい、というのが私の独断と偏見。本物の紙芝居は観客であるこどもとの双方向性や強烈な一体感が存在するが、それに及ばずとも朝ドラや大河は視聴者との一体感を大切にすべきだ。それは迎合とは異なるものだ。従って今回の朝ドラや大河の舞台が東北つまり被災地であることは私にはとても重要な意味がある。NHKの持つ社会的な影響は職員が思う以上に大きなものがあることを自覚すべきだ。
 脚本家の言葉が実に味わい深い。奇をてらうのではなく、迎合するのではなく自然体でいてなお味のある言葉だ。http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130313/ent13031308030002-n1.htm宮藤官九郎氏はNHKのドラマ「蝉しぐれ」で主人公文四郎の終生の友である島崎与之助を演じた姿が印象に残っている。

 実は最近のNHKを見ていて、アナウンサーや一部の番組の急激な劣化を嘆いていたところだ。最近はニュース番組でも少なからず訂正が入るようになったし、アナウンサーもときどき原稿を読み誤る。また民放のそれも少し程度の低い番組の影響を受けたのか、やたら笑う一部女子アナがいる。いったいNHKの矜恃はどこに置いてきたのか。なぜ民放の後を追いかけるような番組を作ったり、民放の女子アナの真似をするのか、理解できない。(注:あくまで個人の感想です)

 今回の「あまちゃん」「八重の桜」はいい意味での「NHKらしさ」が出ている。観光地にとって、その土地を舞台にした作品は観光客を呼び寄せる「撒き餌」になる。これを契機に観光客は増加し、東北復興の一助になる。受信料という上納金を取り立てている以上NHKにはさまざまな社会的責任が要求される。その上で芸術性を損なわない作品を作ることは十分可能だ。

 人物や場所の設定に時代的な意味や責任感がまったく感じられなかった「純と愛」と比べ、今回の「あまちゃん」「八重の桜」は今までを見る限り作品の完成度の高さと、NHKに要求される社会的な「責務」を十二分に果たしていると私は思う。