【団塊ひとり】明日28日は「主権回復の日」か「屈辱の日」か


 政府が明日「主権回復の式典」を行う。これについては賛成と同時に多くの反対意見が提出されている。その代表的なものが沖縄から提出されたものだ。サンフランシスコ講和条約では沖縄は日本から切り離されてしまったので28日は、沖縄にとっては「屈辱の日」だと言うのだ。

 沖縄の返還は20年後の1972年5月15日なので、自民党員の中でも、沖縄選出の國場幸之助衆院議員などは、この日こそ「本来の日本の真の主権回復の日であるべきだ」と主張する。(TV朝日系列「モーニングバード」での発言)これはこれで説得力を持つ。

 しかし、沖縄返還は本当に「日本の真の主権回復の日」なのか。沖縄人の視点に立てばそう言えるかも知れない。が、そこには北方領土竹島等の存在が全く欠落している。沖縄は返還されたかも知れないが、北方領土は未だロシアに、竹島は韓国によって不法占拠されたままだ。沖縄出身の國場議員の発言はややもすれば沖縄の存在を軽視しがちな「日本人」に対する警鐘とはなるが、北方領土竹島を見捨て、現状を固定化してしまう危険性をはらんでいる。

 もちろん、本来そこに所属すべき国土が切り離された状態のままで、完全独立を主張することは出来ない。結局はサンフランシスコ条約をどのように扱うかと言うことだろう。その条約で少なくとも日本は国際社会に復帰出来たことは間違いない。それを「完全な」独立と考えるか、「不完全」な独立と考えるかは大きな問題だ。

 条約締結を一つの進歩と考えるならば、「4月28日」が日本の主権回復の日の第一歩であったことは事実だ。が、沖縄や奄美や小笠原などが未だ返還されないという不完全なものであったことも避けることの出来ない事実だ。そのことを意識しないで「主権の完全回復」と宣伝すれば、自民党は福島の原発事故に「収束宣言」を出した民主党の二の舞になる。

 国土の完全復帰を前提とする「5月15日主権回復の日」主義者の論法を採用すれば、北方領土竹島が日本国土から分断されている日本はまだ完全独立を果たしていないことになる。その立場から考えれば「5月15日」も「屈辱の日」になる。さらに、拡大すれば、南北に分断されている朝鮮も互いに完全な独立国とは言えない。中国本土と台湾とに実質的に二分されている、かの国も完全な独立国とは呼べない。が、それはどう考えても不自然だ。

 産経新聞は日本と韓国の民族間の対立が激化、「日韓“歴史戦争”本格化の様相」と報道。
韓国は対日関係で「歴史的被害者への配慮」を主張するが、戦後はむしろ日本側の「歴史的被害」のほうが大きい。李ライン、拉致問題。韓国・北朝鮮の行動は国際法的に許されるものではない。

一部のアジア諸国からの抑圧を戦後の日本人は耐えてきた。戦前を反省すればこそいわれのない「みかじめ料」を中国や朝鮮に払ってきた。が、その限界が来たと言うことだろう。朝鮮はまだ「みかじめ料」をとろうとするが、安倍政権は拒否。それで生じたのが最近の騒乱だ

 米国に支払う様々な米軍基地に関する経費も例えは悪いが一種の「みかじめ料」と言えなくもない。が、国民の不満が抑えられているのは、それが必要悪と意識されているからだ。北朝鮮の軍事的脅迫、中国の尖閣侵略。米軍の支援がなければ日本独自ではとても立ちゆかないのが悲しい現実だ。

 中国や朝鮮は本当に今の日本が軍国主義だと思っているのか。だとしたら彼等の「歴史認識」は幼稚でいびつなものだ。町を歩いても彼等の国のように機関銃を持った兵士の姿は見当たらない。中国や韓国が日本への旅行を制限しているのは、国民が真実を知ることを恐れているからではないか。

 北方領土竹島のみならず、尖閣がまさに蹂躙されようとしている。が、今の憲法ではそれを守る手段がない。ふりかかった危険を自国の力で払うことも独立国の要件の一つだ。それを困難にしている「憲法」を改正しなければならない理由だ。

 世界の国が常識として持っている自国を守る権利すら持てない「憲法」を守る日本は、本当に独立国と言えるのか疑問だ。