【団塊ひとり】中国の領海基線、国際法と合致せず


 中国が主張する尖閣諸島周辺の領海基線国際法と合致せずと米国防総省が発表。米国が国際法に則って自分の立場を明確にした。日本にとっては明かな追い風だ。先制攻撃をしても米国が黙認するだろうという中国の目論見が崩れつつある。国際法は明らかに日本の立場を支持している。

 中国や南北朝鮮は盛んに日米離間を画策するが、成功していない。彼等の行動と反比例してむしろ日米の政治的・経済的・軍事的な絆はますます深まっている。戦前は中華民国アメリカの国益が合致して、日米の離間策は成功したが同じ手が成功しないのは、戦前と違って日米の国益が重なっているからだ。今後も尖閣に「リットン調査団」が派遣されることはなく、日本が国際連合で糾弾されることもない。

【記事引用】
領海基線国際法と合致せず=尖閣問題で中国の対応に疑義―米報告書

 【ワシントン時事】米国防総省は6日に公表した中国の軍事力に関する年次報告書で、中国政府が沖縄県尖閣諸島周辺に独自に設定した領海基線について、設定法が不適切であり、「国際法に合致しない」と述べた。
 基線は領海の幅を測定する根拠になる。中国政府は日本政府の尖閣国有化への対抗措置として、尖閣諸島を中国領として扱えるような形で基線を設定し、一方的に国連に申告。日本は基線を設定する行為自体、受け入れられないとの立場だ。
 報告書はこれに関し、中国は国有化以来、日本が領海としている同諸島から12カイリ以内でも監視船を日常的に運用していると分析。その上で「中国は2012年9月、不適切な形で引かれた尖閣諸島周辺の直線基線を利用し始め、国際法に合致しない海洋権益の主張を新たに積み重ねた」と強調した。  (時事通信5月7日)より

 危惧されるのは最近の中国の行動だ。欧米の帝国主義に遅れて競争に参加したかつての日本を連想させる。「大国」のはずの「中国」がなぜ「小国」日本の後塵を拝するのか。自分たちの自尊心はどこに行ったのか。西欧に遅れて帝国主義に参加した日本よりはるかに遅れて時代錯誤の帝国主義に踏み込もうとしている中国。歴史から学べない国は愚かだ。

 安倍首相が前回と違うところは中国・韓国への訪問を後回しにしているところだ。中国や韓国が非礼な態度をとり続けている以上、礼を持って待遇する必要はない。アジアは広い。自分を「進歩的」と錯覚している日本の文化人も、中国や南北朝鮮だけがアジアと思う狭い視野から脱却すべきだ。

 「進歩的」=反日的とは思いたくないが、どうもそういう学者・弁護士・政治家などが目につく。その人たちが揃って口にするのは「日本の右傾化」であり「アジアで孤立する日本」でありアベノミクスによる「日本の衰退」である。どうして足をひっぱろうとするのか。日本と北朝鮮。国際的な正義はどちらにあるか、明白ではないか。彼等はなぜこれほどまでに中国や南北朝鮮の主張に与するのか私には理解できない。

 アジアの一部の国の政府声明もそれが最終的に確定されるまでは、様々な紆余曲折がある。一つ一つの声明に過敏に反応して緊張感を高めるか、あるいは冷静に判断して落ち着いた着地点を目指すか。これは政府だけではなく、むしろマスコミなどの仕事かも知れない。

 若い人は知らないかも知れないがイビチャ・オシムという忘れられないサッカーの監督がいた。サッカーをただのスポーツから深遠な哲学に変えた監督だ。ジーコの後を継ぎ2006年に日本代表監督に就任したが翌年脳梗塞で倒れ、岡田監督に引き継いだ。彼はサッカーに対する深い言葉を残したが、サッカー以外にも考えさせる言葉を多く残している。

 オシム語録の一つに「新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから」というのがある。

 オシムの故郷サラエヴォボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で包囲され多数の被害者を出した場所だ。オシム氏の発言の裏にはそこでの多くの経験があるのだろう。子供の時はお互い分け隔てなく遊んでいた仲間が、やがて周りの大人の発言や行動、学校で学ぶ差別的な教育やマスコミの誘導によって憎しみあってゆく。悲しいことだ。

 かつての「進歩的」かつ「護憲」文化人も今はすっかり古びてしまった。いまや護憲派は旧習に拘泥する「保守反動」の代名詞になってしまった。護憲を旗印にした土井たか子社会党は今は見る影もない。現代の日本人は「進歩的」文化人が思うほど愚昧ではない。政治的な扇動にも冷静だ。

 現在の日本人の多くは改憲の必要を認めながらも、軍国主義には否定的だ。そのことに気づけない中国や朝鮮は大きなミスを犯している。それは政治問題を「こころ」の問題にしてしまったことだ。「こころ」はその国に生きる人間にとって魂の領域に関する事だ。それを辱め糾弾したら、もはや理性的な判断は困難になる。お互いに憎しみの負の連鎖が発生する。そうなれば誰も止められない。

 戦後の中国がまだ反日ではなかったとき、当時の指導者は軍国主義者と一般の日本人を分けていた。もちろん簡単に分けることは出来ないが、見事な政治的判断だったと思う。今は普通の日本人ですら彼等の憎しみの対象だ。「日本人であること=悪」「親日家=悪」という差別的な図式は「ユダヤ人=浄化すべき対象」としたナチスと変わらない。

 まして日本人と違って恨みや憎しみを1000年の尺度で引きずる中国や朝鮮だ。しかも毎日子供たちに反日思想を植え付けている。このような国とは深入りしない方が得策だ。このことに我々は早く気づくべきだ。

 が、愚かな朝鮮人の大統領は竹島に上陸しただけではなく、日本人の9割以上が敬愛し、憲法で日本の象徴とされる天皇陛下に土下座を要求した。言葉には出さないが多くの日本人は朝鮮人に対する軽べつと敵意を感じたはずだ。ロシア人の大統領も北方領土に上陸するという挑発を行ったが、天皇を辱めることはしなかった。が、朝鮮人の大統領は天皇だけではなく、日本の憲法と日本人全てを侮辱したのだ。名前も口に出すのも汚らわしいその男は日本人と朝鮮人との間に消しがたい溝を作った。わたしはこれを「イ・ミョンバクの呪い」と呼ぶ。

 憲法九条改訂に反対する人たちは、中国や朝鮮が日本を侵略する障害になると思っているのだろう。尖閣で中国が発砲しても自衛隊が「交戦」出来ないような縛りを残したいのだ。だからなりふりかまわず、中国や朝鮮に都合の良い論理をならべたてるとしか思えない。

 私は何度も靖国神社を参拝している。なにより父親は特攻隊の生き残りだ。が、今更日本を軍国主義にしたいとは思わないし、アメリカですら廃止した徴兵制の復活など望まない。しかし中国人や朝鮮人や「進歩的」文化人は、靖国に参拝する私を右翼と非難するだろう。

 自分の国や地域を愛すること、その為に命を捨てた人たちに哀悼の気持ちをあらわすこと、そして自分の国を命をかけて守ることが「右翼」だとしたら私は喜んで「右翼」と呼ばれたい。