【団塊ひとり】帰化した人間をどう呼べばいいのか。アメリカに学ぶ必要。

 先日、大阪市生野区新今里で韓国籍の無職男(31)が「日本人」を刺す事件があった。犯人は「日本人なら何人も殺そうと思った」と供述しているそうだ。ところが多くの新聞記事は「府警は無差別に通行人を襲った通り魔事件とみて、同署に捜査本部を設置。」とある。論理矛盾だ。

「日本人なら殺す」は明かな条件提示だ。それだけではなく「生粋の日本人なら何人も殺そうと思ったと供述」している(産経新聞)のだから明らかに殺害対象は限定されている。新聞報道が正しいなら明らかに判断能力がある。つまり韓国籍の男の行為は「無差別」殺人を狙ったものではない。明らかに「日本人」だけを標的にした人種差別的な行為だ。「府警は無差別に通行人を襲った通り魔事件」と「発表」したが、それが真実なら府警の論理能力の欠如を示している。しかし、それを指摘しない(出来ない?)記者の取材能力にも不安が残る。

 さらに記事は、犯人は「精神疾患で通院歴があり、府警は刑事責任能力の有無を調べる。」と続けられている。今の時点で犯人が無罪になる可能性を含む「精神疾患」を持ち出すことは、読者に「予断」を与えるものだ。また何らかの「精神疾患」を病んでいる人に追い打ちをかけるような「発言」だ。

 記事は正確で公平であって欲しい。朝日新聞を筆頭に、過去に大本営発表を無批判に報道し戦争に協力した「日本の記者魂」の伝統は早く捨てるべきだ。警察であれ日本政府であれ、韓国政府であれ疑問が生じれば質問する。それが出来ないから与野党両方の「政治家」に翻弄・利用されるのだ。

 韓国籍の男が「生粋の日本人」かを尋ねたのは象徴的だ。つまり韓国人でも見ただけでは朝鮮人か日本人かの区別はつかないのだ。

 かつて自民党新井将敬という将来を嘱望された青年政治家がいた。みんなの党代表の渡辺喜美氏の父渡辺美智雄氏が大蔵大臣に就任すると、大いに信頼して秘書官に抜擢され、政治のみならずマスコミでも活躍した青年政治家だ。が、石原慎太郎氏が彼の出自を問題にし「選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある」と主張した。新井氏は「妄説」として否定したが、自殺(他殺説もあり)後、帰化前の名前が朴景在という朝鮮人であったことが明らかになった。

 もちろん帰化したからは「日本人」である。が、「生粋の日本人」を殺害目標にした生野の韓国人は「日本人新井将敬」を殺害しただろうか。たぶん殺害対象からは外すはずだ。

 帰化して日本人になった「外国人」は多い。例えばRuy Gonçalves Ramos Sobrinho氏は帰化して「ラモス瑠偉」となり、Donald Lawrence Keene氏は帰化して「キーンドナルド」、通称「鬼怒鳴門」という日本人になった。両者とも日本人に尊敬され愛されている。

 帰化という点で中国人と朝鮮人を比較すると面白いことが分かる。中国人や台湾人は帰化してもほとんど元の名前を変えない。中華人民共和国四川省生まれの漢族系中国人である「シー・ピン」氏は日本人「石平」(せきへい)として生まれかわり、台湾出身の金美齢氏は帰化後も「金美齢」である。私の知人の中国人も100%帰化前の名前を使っている。が、朝鮮人、特に南朝鮮出身の韓国人の多くは日本人らしい名前に改名するか日本式の通名を使用する。これが私には理解できない。

 今はほとんど話題にならないようだが、晩年はポルノ作家、性豪作家と言われた作家梶山季之氏に日韓併合期の朝鮮を題材にした「族譜」という作品があり、私は映画化された作品も見た。昔のことなので明確には覚えてはいないが、確か朝鮮人としての誇りを守るために、日本政府が強制した創氏改名に抗って自殺した両班と、間にはさまれて苦悩する若き日本の官僚が描かれていた。

 併合によって創氏改名を強制されたことに怒りを覚え自殺する朝鮮人の主張は、もっともだと思った。私があるとき「佃なにがし」ではなく、「ウラジミール・ツクダ」とか「サダム・ツクダーニ」とかやられてはたまったものではないからだ。だから、現代の日本で、強制もされないのに簡単に日本名に変えてしまう現代の朝鮮人の気持ちが分からない。

 中央日報のWEB日本語版が竹島に上陸した「久保井規夫・元桃山学院大学教授、黒田伊彦・元大阪樟蔭女子大学講師、一戸彰功青森雲祥寺住職ら「竹島の日を考え直す会」会員3人」を「一般人の独島観光が拡大許可された2005年以降、独島に訪れた日本人は50人を超えるが市民団体会員らが訪問して「独島は韓国領土」と明らかにしたのは初めてだ。」と報道。竹島を韓国領と見られないという見解を発表した坂本悠一・元九州国際大学教授は上陸を拒否された。3人はいわゆる韓国人にとって「良心的日本人」といわれる存在だ。 

 さて、多民族国家アメリカでは、日本とは違ってその出自が大きな意味を持つ。大統領選挙時にオバマ大統領の出自が問題になったのは、合衆国憲法第2条第4項によって大統領になる資格が「生まれながらの合衆国市民」に限定されているからだ。JFケネディが脚光を浴びた理由の一つは彼がアイルランドアメリカ人として最初の大統領だったこともある。カリフォルニア州知事になったオーストリアアメリカ人のアーノルド・シュワルツェネッガーは、アメリカ生まれでなかったために大統領にはなれない。先ほどの「日本人新井将敬氏」は多民族国家アメリカでは「朝鮮系日本人」と呼ばれる存在だ。

 日本では「○○系日本人」が首相になることに対する規則はない。また議員も普段は「○○系」等とは報道しない。ましてや一般人はそのように呼ばれることはない。

 が、生野の例もある。韓国人が見ても日本人と朝鮮人の区別はつかないのだ。もし日本名で近づいてきた人間が、議員を陥れるために「献金」し、それをある新聞社にリークして政敵である議員を失脚させることも可能だ。その危険性を放置しておいていいのか。

 それを防止するためには議員に献金する人間は、必ず自分の国籍を明らかにすることを義務づけ、破ると罰則を与えるべきだ。そうしないと国会で問題にされる議員が増える。

 又、帰化した国会議員は原則として出自を明らかにする。つまり自分は「○○系日本人」であると誇りを持って主張することを義務づける。工作員でない限り自己の素性を明らかにすることは、なんの問題もないはずだ。国民の判断材料としても必要なことではないか。

 自らが被差別部落出身であることをカミングアウトした猿回しの芸人が、在日と被差別部落出身者を除けばNHK紅白歌合戦は成立しないと断言した。視聴者の多くはそんなことくらい知っているはずだ。しかしそのことでタレントや歌手が差別されることはない。人気が下がるわけではない。差別する人間がいたら、それこそ恥じるべきだ。

 ある外国に極端に有利な発言をしたり、機密情報を漏らしたり、日本社会を混乱に陥れるような発言をする議員や文化人やTVのコメンテーター。もし彼等がある意図を持って「日本人」になっているのだとしたら、危険な事ではないか。

 もちろん、政治家の出自を明らかにすることは、朝日新聞系列の週刊誌が橋下市長に対して行ったように、差別意識丸出しの卑劣で人権を無視する卑しいものに陥る可能性もある。マスコミや国民の品性を信じるしかないのだろう。