【団塊ひとり】日本の9・11 だった尼港事件と通州事件

 歴史には転機となった事件がある。日本で言えば例えばアメリカの9・11に匹敵するものとしては1920年(大9)の尼港事件、1937年(昭12)の通州事件がその代表例になろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 事件は中国が宣伝する「南京」の再現のような残虐な内容だ。殺し方には国民性がある。写真で見る限り殺人と言うよりまるで動物の屠殺だ。少なくとも一般の日本人の間にはあのような「殺しの伝統」はない。

 尼港事件や通州事件の日本人被害者(通州事件では朝鮮系日本人慰安婦も殺害されている)の殺され方は、中国が宣伝する南京虐殺で殺された「中国人」(実は日本人被害者であるとする証言もある)の殺され方に似ている。ともあれ事件そのものを学校で学んだ記憶は無い。

 アメリカで発生した「同時多発テロ」「9・11テロ」(September Eleventh、Nine Eleven)等と呼称されるテロ事件。発生を口実にアメリカはアフガニスタンイラクに攻め込んだ。その結果少なくとも数十万の民間人が犠牲になったと言われるが、もちろん「勝利者の方程式」に基づいてアメリカの謝罪はないし、戦争犯罪として裁かれた兵士はいない。

 「戦争」および「戦争犯罪」に対する認識が変化したのだろう。もし、東京裁判方式で現代のアメリカを裁いたら、ベトナム戦争時やイラク戦争時のアメリカ軍兵士は無罪になっただろうか。今のように民間人に対する殺人を「誤爆」と簡単に片付けることが許されるだろうか。無人機が攻撃し子供や女性たちが被害に遭う。そしてしばらくして「誤爆」であったことが分かる。その数行の新聞記事で全てが完了する。テロとは無関係な多くの民間人が「殺された」のに、「殺人者」は全く処罰されない。力を持たないものは何を言っても無駄なのか。「勝利者の方程式」を絶対的真実としていいのか。

 日本の「ヘイトスピーチ」が問題になっている。しかし「同時多発テロ」後「人権」の国アメリカでもイスラム教徒への激しいヘイトクライムが多発した。コーランの焼却はイスラムの神への冒涜なのに、イスラム諸国の抗議がなければ実行される。日本においても神社への放火、仏像等の略奪が頻発している。一見無関係に見える小さな「事件」にも、見えないところで繋がっている黒い糸が存在している。そしてそれに多くの日本人は気づいていない。過去の日本は「加害者」という側面が強かったが、現在の日本は明らかに「被害者」という側面が強い。現在の日本が「侵略する」よりも「侵略される」側にあることに、日本人はあまりにも無関心、無防備ではないか。

 人道に対する犯罪は勝者や敗者に関係なく裁かれるべきだ。これが公平に適用されておれば、日本人も納得する。「勝利者の方程式」を絶対的真実として批判すら許さないと言うことはあってはならない。

 それでも中国や朝鮮やロシアではなく、アメリカを同盟国に選ぶのは、それがベストでは無いにしても日本人にとってはベターだからだ。まともに考えれば中国や南北朝鮮という偏執的な国と正常な同盟関係は築けない。韓国の大統領は就任時には大抵「過去にとらわれない未来志向」を訴える。が、自分たちの政権の不祥事が発生すると、手のひらを返すように日本批判を始め「過去」を持ち出す。信頼できない国だ。またロシアは平和条約を締結してもいつ寝返るか分からない。安易にエネルギーを頼ると中国がレアメタルで示したようにそれを武器として日本に圧力をかけてくることは明らかだ。ロシアも信頼できない国だ。比較するとまだアメリカの方がましだ。

 もちろんアメリカは単純ではない。しかし、少なくとも南北朝鮮のように感情だけを最優先にはしない。例えば東日本大震災における「トモダチ作戦」の展開。日本の国防に携わる「自衛隊」の半分近くが災害対策に割かれ、国防に空白の状態が発生したのは日本にとって危険なことだった。韓国が竹島に軍隊を送り込んで火事場泥棒的に日本の領土を奪い取ったのは、敗戦で日本が主権を失った占領期間中の出来事だ。だから震災の混乱に乗じて尖閣に中国が軍隊を送り込み、対馬や日本各地で韓国人の反日暴動が起きる可能性は存在した。が、米軍はその「国防のあな」を見事に埋めてくれた。しかも災害援助という理想的な形で。同盟の良い面だ。

 東日本大震災で「トモダチ作戦」という、ある意味でうさんくさい名前の下で行われたアメリカ政府のやり方は見事だった。災害支援という、反対の出来ない名目を全面に出すことでアメリカ軍の平和的側面を日本国民の心に焼き付けることに成功した。日本はPKO自衛隊を送ることでさえ、時代錯誤の政党から「参戦」扱いされ非難された。世界との大きな差だ。

 琉球新報などは「援助活動を利用し、県内移設への理解を日本国内で深めようとする姿勢が色濃くにじむ」と批判したものの、在日米軍がいかに頼りになるかは多くの日本人、特に被災地の人々には印象づけられた。私は震災後しばらくして石巻に行ったが、民主党に対する怨嗟は聞いても、米軍や自衛隊を悪く言う人間に出会ったことが無い。

 援助活動を実行する米軍は、破壊された日本本土各地で「上陸演習」を堂々と実行できた。しかも広報活動を通して写真やビデオが世界中に宣伝された。媚中民主党政権尖閣諸島での中国の犯罪行為を必死で隠そうとした事と正反対の姿勢だ。反米の左翼もさすがに沈黙せざるを得ない。アメリカは救助活動と、さまざまな広報活動を通してアメリカ軍の平和的側面を日本国民の心に焼き付けることに成功した。実に老獪でスマートだ。自衛隊も範とすべきだ。

 東日本大震災ではアメリカ軍は、津波に流された日本国民の捜索をしながら、日本近海に侵攻している可能性のあるロシアや中国の潜水艦に対する警戒を行い侵略を未然に防ぐ役割を果たした。米軍は日本の港湾が外国や、国内の反日勢力によって破壊されたとしても、それに対応出来る貴重な経験も手に入れた。

 それだけでも軍事的に大きな収穫なのに、さらにアメリカは大きな経済的利益も手に入れた。悪く言えば「みかじめ料」ともいえる「思いやり予算」の継続である。東日本大災害における米軍の活躍で当時反対の多かった米軍への「思いやり予算」もすんなり国会を通過してしまった。「トモダチ作戦」の予算が8000万ドル(約68億円)、「思いやり予算」で獲得した金は、毎年1881億円。米軍の得たものは実に大きい。アメリカは低い投資で高価な物件を手に入れた。

 事にあたっては的確に判断し迅速に行動する。国益や実利を基本に動きながら、それを相手に意識させない。これが大人の国のやり方だ。これが政治というものである。今までの日本の政治家の誰にその力があっただろうか。安倍政権を攻めあぐねている日本の野党は、過去や現在の些末なことばかり問題にしている。「団塊ひとり」はそう思っていつも部屋の片隅で嘆いている。