【団塊ひとり】「朝鮮人慰安婦」という呼称は「朝鮮系日本人慰安婦」と呼ぶべきだ。


 「朝鮮人慰安婦」という言葉がまた復活している。しかし、その呼称は歴史的には「朝鮮系日本人慰安婦」と呼ぶべきだろう。理由は当時の国際法上合法とされた「韓国併合ニ関スル条約」により、「朝鮮人」による国家が消滅していたという歴史的事実による。「朝鮮人」は当時の「日本人」だった。
 
 併合違反論は朝鮮以外ではほとんど認められていない。当時の国際法に従った併合の違法性を認めると現在の国際秩序が完全に覆るからだ。アメリカはハワイやサイパンを、中国はチベットウイグル、あるいは朝鮮の一部の「併合」の正統性を疑われるからだ。他国も同様の理由で歴史の改ざんを認めないだろう。

 朝鮮併合に反対していた伊藤博文はテロリスト安重根に暗殺された。朝鮮人が非難する「右翼」でも必ずしも朝鮮併合に賛成したわけではない。例えば「黒龍会」などは併合に反対していた。考えれば、民族の純潔性を何よりも重んじる団体にとって、他民族の血が混じることが望まれるはずがない。当時の日本人のある部分は、併合による朝鮮人の「皇民化」は「皇国民の質の劣化」を招くという理由で反対していた。又、朝鮮人の中にもロシアに併合されるよりは日本に併合されることを望んだ勢力も存在した。歴史の真実は猛烈に複雑である。

 「併合」という歴史事実に従うなら、「朝鮮人慰安婦」という呼称は「朝鮮系日本人慰安婦」と変えるべきだろう。「慰安婦」という存在は否定されなければいけないが、満州朝鮮半島に当時存在した「日本人慰安婦」の存在に触れないのは歴史を無視した行為である。

 いわゆる「慰安婦」が存在した当時の日本社会には貧しい農村から若い女性を買い集める女衒という商売が存在した。女衒は世界各国に存在するが、当時の日本では日本人だけではなく朝鮮人の女衒も多く、彼らは日本人や朝鮮系日本人の女性の売買に関係していた。東映シナノ企画が制作した映画「動乱」で左とん平が演じた朝鮮人の朴烈全が、貧しい日本人女性溝口薫(吉永小百合)を軍人相手の売春宿に売り飛ばしたのは、当時の時代状況を正確に表現している。もちろん朝鮮人の女衒が、親に売りとばされた朝鮮系日本人の女性を遊郭に売りとばす例も多かった。

 「マダムバタフライ」の昔から、「日本人」は屈辱を金銭で償わせるよりも「誇りある死」を選択した。それが多くの日本人の感覚だが、その通念が女性を死に追い込んだり、沈黙を強制したりする原因にもなった。しかし時代は変化している。「大和系日本人慰安婦」も連合国に賠償を請求する権利はあるのだ。マダムバタフライのように、男による裏切りや屈辱を自分の死によって解消するという生き方は現代の女性にはふさわしくない。

 戦後日本に設置されたアメリカ兵相手の「売春宿」(RAA)や、ベトナム戦争時の韓国兵のベトナム人女性へのレイプや慰安婦問題。これらを追求することも大切である。戦勝国だから免罪というわけには行かないはずだ。

 「朝鮮人慰安婦」という呼称は、正しく「朝鮮系日本人慰安婦」と呼ぶべきだ。自分に有利である時は朝鮮人であることを明らかにし、犯罪などを起こしたときは「日本人」になりすます「朝鮮人」のやり方は、私には非常に卑怯なことのように思える。