【団塊ひとり】総選挙と憲法9条改正と平成の龍馬


 公明党が8月15日の首相や閣僚の靖国参拝見送りを求めた。日本と中国、韓国の関係を配慮せよとのことだ。公明党の協力が必要な安倍政権にとって痛いところだ。安倍首相は無視して参拝すべきだ。15日であろうとなかろうと靖国参拝は反発される。同じ反発を受けるなら、最も効果のある時期を選ぶべきだ。日本が真剣であることを示す必要がある。

 今までの政権は口では立派なことを言いながら、最後は外圧に屈している。あの小泉政権ですら15日に参拝できなかった。が、これが中国や韓国の侮日に繋がっている。最近の常軌を逸した中国や韓国に強い姿勢を示すことを望む国民は多い。目先の「妥協」にとらわれて国益を失わないで欲しい。

 靖国神社参拝は純粋に国内問題である。国内問題に関する内政干渉を許せばその国は独立国家とは言えない。日本が真の独立国家になるためには、今まで避けていたことに真剣に当たらねばならない。一部の国の反発に屈しているようでは日本は真の独立国家とはとても言えない。アジアは中国や南北朝鮮だけではない。日本の姿勢を支持し、かつ協力を求めている国も多い。

 公明党はやがて自民党のアキレス腱になる。やがて自民党公明党が袂を分かつ時が来るだろう。自民党民主党の一部、維新の会などと協力をとる環境を整える必要がある。ともあれ「強い日本」が早く戻って欲しい。

 「強い日本」を取り戻すためには、国会のねじれ状態を早急に解消しなければならない。日本の歴史が輝いているときは、常に日本がまとまっているときだ。小さな次元で争っていた薩摩と長州が同盟を結んだとき、新しい日本が生まれた。党派党略を乗り越えて日本が一つの目標にまとまるときが来て欲しい。が、平成の龍馬の姿が見えない。それがなんとももどかしい。

 安倍首相が「われわれは9条を改正し、その(自衛隊)存在と役割を明記していく。これがむしろ正しい姿だろう」と発言。憲法96条改正より、堂々と憲法9条を全面に打ち出すべきだ。小規模な自衛のための「戦闘」行為すらも束縛する憲法9条は廃止が当然だ。憲法9条の「改正」は、侵略戦争の為ではなく、国際法から逸脱するものでもない国土防衛の為の最小限の改正だ。

 中国が尖閣に本格的に進行してきた場合、今の憲法9条では適正な対応が出来ない。戦前の「侵略国」とされた日本は、今は完全な「侵略」される国になってしまった。その認識を持っている国民は少ない。その責任は売国的な一部政党やマスコミや教師にある。侵略の為ではなく、侵略されないためにこそ憲法の改正が必要なのだ。

 昔、自衛隊が行った非常事態に対する日本防衛のための机上シミュレーション昭和三十八年度総合防衛図上研究、通称「三矢研究」なるものがあった。侵略を意図したものではなかったのに、当時の社会党(現社民党)の親中派の岡田春男氏の暴露によって攻撃され、以後この種の研究は中止された。

 中国とその影響を強く受けた政党による「見事」な連係プレーだった。が、シミュレーションの暴露と批判の目的は、明かな日本弱体化であり、日本の手足を奪い中国の侵略が容易になる足場を組み立てようとする策略であった。今度の選挙では、今も存在する社会党の残滓を、日本の社会から完全に洗いさる必要がある。

 野党の分裂と小競り合いは見苦しい。維新と「みんな」が協力すれば民主党の票の多くを自分のものに出来るのに、今のままでは共産党が持ち逃げしてしまう。第三者的には渡辺代表の個人的な怨念が邪魔しているようにしか映らない。個人の怨念にとらわれている限り大きな政治は出来ない。

 日本維新の会は総選挙を契機に元の大阪維新の会に戻って欲しい。大阪にどっぷりと追い被さっている利権、在日・同和の問題。そして闇の世界に存在する黒社会との対決。どれをとっても普通の政治家では解決は困難だ。橋下市長のような強引で得体の知れない政治家以外には扱えない。

 橋下市長は残る任期を大阪の為に費やして欲しい。未来の首相候補とうまく担がれたのが現在の凋落を招いた。捲土重来を目指すなら、しばらくは大阪の治世に専念して実績を上げることだ。「風」は流れを簡単に変えるが、地道に実績を上げれば政敵もうかつな攻撃は出来ないからだ。