【団塊ひとり】遅れてきた参加 TPPで日本の主張が容認される可能性は。

 日本がやっとTPP交渉に参加した。終盤にさしかかった時点での「遅れてきた参加」だ。いまさらながら民主党政権の決定できない政治空白3年間が悔やまれる。ザックジャパンの遅すぎる選手交代のようで効果が期待できない気がする。果たして、短い期間を活用して国益を守れるか。

 「国益」といっても立場によって異なるので、ひとくくりには出来ない。日本の農業保護も国益の対象にはなるのだろうが、あまり保護を強化しすぎるとデトロイト自動車産業のようになる。まして高齢化が進む日本の農業は保護の有無に関係なく、今のままでは明るい未来があるようには思えない。

 日本の米は700%を超える関税をかけなければ守れないほど脆弱なのだろうか。外国では高い日本の米が売れるという。味、品質など安全性が尊ばれるのだ。従来のスタイルにとらわれていては、見つからないこと、実現できないことがある。日本農業の質的な大転回、大幅な規制緩和が必要な時だ。

 盤石に見える伝統も、油断すると単なる硬直的な因習になる。伝統には破壊と創造という友が必要だ。「死と再生」の上に生き残る伝統こそ本当の伝統ではないだろうか。高齢の農民が亡くなった後に土地だけが残っても、そこには生産者の「死」があるのみだ。土地が残っても「伝統の継承」のない農業に未来はない。

 円安で家畜用の飼料の値段が上がって苦しいという。が、安価であるという理由だけで輸入飼料に頼る体質では安定した経営は困難だ。荒れ果てた休田も家畜を利用すれば家畜の飼料代も浮き、活用できる田畑も広がる。これらはすでに実践されている。この試みをもっと日本に広めたい。

 農業保護と口にはするが、実際には農協という既得権益集団の保護、または選挙における票の獲得に結びついているのではないかという疑惑がある。そんなことを優先すると日本は生き残れない。

 追い詰められたときに力を発揮するのが日本人だ。経済的な視点だけで世の中を見るのではなく、長いスパンで見なければならない。なにより日本には伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮という精神や伝統技術の継承方法もある。立ち止まってもう一度日本の歴史を振り返ることも大切だ。

 TPPがアメリカ主導になる事に反対の国もいるはずだ。いくらアメリカが脅しをかけてきても、日本と利害が一致する国と共同歩調を取ることが出来ればまだ日本の主張が通る可能性も残されているはずだ。農業保護という狭い分野だけにとらわれず大きな「国益」から交渉を有利に進めてほしい。日本に期待する国は、我々が思っている以上に多いかも知れない。その国と連係を保ち、アメリカの横暴に対抗することによって、日本の国家的な地位の向上も図れることを忘れてはならない。

 さてケネディ家の女性が日本大使になることが決定した。政治的には未知数らしいが、日本のワイドショー的番組では話題を集めることだろう。「女性」というだけで、常に韓国のパク・クネ大統領とと比較されるかも知れない。それも常にプラス効果で評価されるだろう。アメリカもくせ者だが、韓国とは比べものにならぬほどの大人であり、知性を持っている。なによりも日本人はケネディ家が大好きだ。ますます韓国は日本人の意識から遠ざかる。自らまいた種だ。