【団塊ひとり】ヒロシマの役割、原爆の廃止と敵国条項の廃止

被爆者を両親として広島に生まれた佐村河内守氏が作曲した「交響曲第1番 HIROSHIMA」を聴いた。大曲であるが、一気に聴いてしまった。

 世界初の原爆投下から68年たった。今年はアメリカ大使だけではなく、『プラトーン』、『JFK』の監督オリバー・ストーン氏も参列した。が、アメリカは未だに、戦争の早期終結には原爆投下は止むを得なかったという公式見解を訂正してはいない。が、最近アメリカでも原爆投下は必要ではなかった、という議論が出始めた。それを歓迎したい。

 日本人にとって「原爆投下」は決して肯定できるものではない。が、アジアの一部の国にとって、原爆投下日は国民の祝日としてもよいほど喜ばしい歴史的な出来事なのだ。韓国の大手新聞「中央日報」が、最近の論説で「日本への原爆投下は「(神の)懲罰だ」と述べたが、その考えはほとんどの韓国人が共有するものだろう。

 韓国人の多くは、原爆慰霊祭での日本人の発言を不愉快に感じるようだ。日本人が「被害者ぶる」ことに耐えられないらしい。アメリカ人も真珠湾がなければ原爆投下もなかったと口癖のように言う。が、今までの日本はこの「疑問」に対する答を用意しているとは言えない。

 弓矢や刀剣という武器とは違って「原爆」は一瞬で人類を滅亡させる力をもつ兵器だ。今までの兵器とは根本的に異なる性質を持っている。「原爆投下」の是非を論じるには、この点を押さえることが重要だ。一瞬で世界を滅亡させる兵器、それが「原爆」であることの認識を共有することが必要だ。
もし原爆による破壊で、地球が滅亡することになったら世界中の国の人間はこうつぶやくかも知れない。「誰だ、こんな悪魔のような兵器を作った人間は」そして彼等を呪いながら人類は滅亡してゆくのだろう。 

 私は、「原爆投下」という行為は、政治的にいくら正当化しようとも、非戦闘員への無警告、無差別の大規模殺戮であり「戦争犯罪」だったと信じる。これからも一切正当化してはならないと思う。だから、二度と過ちを犯さないためにも、兵器として原爆を使用したり、政治的脅迫の道具として利用することは「絶対悪」として否定する環境を作る必要がある。

 その為には、ある国の「不正義」に対して対抗するために正当化される「正義」として、原爆を免罪符のように使用し、主張できる事を禁止する必要がある。具体的には真珠湾攻撃を理由に、「原爆投下」を許さない世界を作るように努力すべきだ。原爆のような最終破壊兵器は、いかなる理由があっても敵国に対して免罪符のように使用することを禁止する考えを広めることだ。

 日本人は「罪」を犯したのだから、「原爆投下」は正当化できる。この論理を野放しにしておれば、第二第三の「広島・長崎」が生まれる。アウシュビッツヒロシマ。(AuschwitzとHirisima)この違いはどこにあるのか。日本人は広島の惨禍を黙って受け止めるしかないのか。

 私は、いくら自分の行為を正当化しようとも、非戦闘員への無警告、無差別の大規模殺傷、民族へのジェノサイド(genocide)的な攻撃は、正当化してはいけないと思う。「戦勝国」であればなんでも許されるという傲慢な気持ちは持ってはいけないと思う。ヒロシマが主張すべき事は多い。

 ただ問題は「原爆」に注目するあまり、明かな戦時国際法違反である「民間人への無差別爆撃」を容認するようなことがあってはならない。ナチスを非難するあまり、韓国人のようにドレスデンへの空襲を「ユダヤ人の復讐だ」などと主張してはならない。

 ただ、数十万人が焼死した東京・大阪などの大空襲の惨禍を見つめるとき、東京裁判でその原因が日本軍の重慶爆撃に求められたことを忘れてはいけない。ここでも原爆投下と同じ論理が使われている。日本人は最初に手を出したが故に、同じ「罰」を受けたのだと。

 「勝者の論理」の前には、「敗者の訴え」は意味をなさない。「慰安婦問題」もそうだ。どこの国だってやっていたではないか、日本の女性も被害を受けたといくら主張してもまともに相手にされないのは「戦勝国の論理」が優先するからだ。悲しい事に日本人はまだそれを論破できるだけの力を持っていない。

 日本政府は、死文化に近づいたとはいえまだ残る国連の「敵国条項」の廃止を要求すべきだ。この条項がある限り「国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できない」(ウイキペディア)からだ。

 中国等が、日本に対して高飛車で傲慢な態度をとり続けるのもこの「敵国条項」が残っているためだ。彼等にとって日本との「戦争」は、安保理の許可が無くても実行できる「正当な権利」なのだ。「敵国条項」を無くさない限り、日本の周辺はいつまでも不安定なままであり続けることだろう。

 ある違法な行為をする。その時罰せられるのは誰か。それは「犯罪」を犯したものだろう。しかし、もし仲間だから、金持ちだから、優等生だから、貧乏人だから・・・・という理由で判決の差が生じたら、それは公正と言えるのだろうか。残念ながら現実は相手によって基準を変えていくのが世界の風潮だ。

 アメリカや中国やロシアは大量の原爆を持っている。が、イランやイラク北朝鮮などが持つことには反対する。これを我々はおかしいとは思わない。だからこそ、ヒロシマの役割はどの国も原爆を持ってはいけない、使用してはいけないと主張することだ。ヒロシマの役割は大きい。