【団塊ひとり】8月15日は本当に「終戦」記念日なのか?

 今日15日は「終戦」記念日なのか「敗戦」記念日なのか。「記念日」ならサラダ記念日のように、心に肯定的に残るものでありたい。「終戦」と言う表現には、日本人の精一杯の負け惜しみが感じられるが、「敗戦記念日」という呼称には、現実直視の姿勢が見える。どの表現を選ぶべきか。

 が、本当に戦争は15日に終わったのか。ソビエト北方領土に上陸し占領したのは昭和20年8月28日から9月5日にかけてである。日本人の感覚では明かな不法侵略だが、当時のソビエトは15日以後も戦争状態は続いていると主張し北方領土侵略を正当化しようとしている。この考えはロシアも引き継いでいる。

 日本が「軍隊」を喪失していた時代に、竹島に駐留していたアメリカ軍の撤去にあわせて韓国が竹島を軍事侵略したのは昭和29年6月だ。「国防軍」が存在しないことがどういう事態を引き起こすかをこれほど明確に示す事例はない。だから日本侵略を狙う中国や朝鮮は憲法9条の改正を、あらゆる手段を使って妨害するのだ。

 また8月15日以後も、多くの日本兵が欧米の植民地支配の打倒を目指した「大東亜戦争」の本来の理想実現を目指して独立を目指すアジアの国と共にイギリスやオランダやフランスと闘っている。東南アジアでは15日に完全に戦争が終結した訳ではないのだ。

 「戦後」に無法に奪い取られた北方領土竹島の問題、沖縄の基地を中心とする米軍との不平等な地位協定などが解決していない限り、私には今の日本が真の独立国たり得ているのかという疑問を消すことが出来ない。では、日本の独立記念日はいったいいつなのか。そのことについて日本はまだ意見の一致をみない。

 日本の「独立記念日」はいつか。政府はサンフランシスコ講和条約発効の昭和27年4月28日をそうだといい、ある勢力は、沖縄が返還された昭和47年5月15日がそうだといい、ある勢力は日本の建国記念日はずっと2月11日だと主張する。が、いずれにしろ北方領土竹島がまだ占領されたままだという事実は残り、尖閣は未だに不安定な状態だ。

 意見の食い違いはあっても昭和27年4月28日を境に、輸出向け製品の表示がMade in Occupied JapanからMade in Japanに変わったことは事実だ。不完全ではあっても4月28日は「敗戦国日本」がアメリカの占領支配を脱し、世界に「独立国」と認められた記念すべき日だ。その共通認識は必要だ。首相は4月28日にこそ靖国参拝をなすべきだ。

 15日に首相が靖国参拝すればそれは日本の戦死者への「鎮魂」だ。4月28日に参拝すれば、それは平和を希求する新しい日本の姿を世界に示す崇高な「意志」の表れだ。靖国参拝軍国主義復活に結びつけるアジアの一部の国の曲解を、日本人自身が肯定するようなことがあってはならない。

 政治は複雑だ。が、中国や朝鮮などの功績は、結果として靖国参拝を日本の外交カードにしてしまったことだ。彼等の執拗な反日的抗議の結果、首相参拝はその国で反日運動という社会不安を引き起こす原因となった。中国のような非民主国家において、集会の自由が保障されていない環境では、反日運動は一種の隠れ蓑になり、反日無罪という気運はさらなる反政府運動を加速させる。日本は労せずして相手国の世論を操作できるのだ。むしろ日本政府は反政府活動家や独立運動の指導者と協力して、「反日運動」を炎上させるくらいの覚悟が必要だ。だから、参拝の時期は15日に固執するのではなく、日本政府の政治決定に合わせるべきだ。

 本来、参拝は純粋に「魂」の問題だ。参拝という神聖な行為の決定権を外国に支配されることがあってはならない。

 しかし、政治的には日本政府は参拝を政治交渉の駆け引きに使うべきだ。せっかく、中国や朝鮮が日本に与えてくれたチャンスを見逃す手はない。そして彼等が靖国参拝を政治的駆け引きの手段とするのをあきらめたときに、政治的な対話を再開したら良い。いずれにしろ日本から妥協すべきで無いことは明白だ。