【団塊ひとり】TV小説「あまちゃん」は3月10日の夜をどう描くか?

 「今から思えば・・。」これは、誰もが一度は感じる気持ちだろう。今から思えば、アメリカという経済的に圧倒的な差のある国に、どうして日本は無謀な戦いを挑んだのだろう。今から思えば、あの時代の日本人の「世界知らず」、「傲慢さ」を笑うことは容易だ。

 朝のTV小説「あまちゃん」が佳境に入ってきた。が、やがてあの海岸にも津波が押し寄せる。地域の鉄道も、仲間がいつも集まるあの喫茶店も、大きな被害を受ける。そして親しく集う人たちの何人かが、きっと帰らぬ人になるのだろう。そして視聴者は確実にそれを理解している。

 今のTV時間では「あまちゃん」に登場する人々は、まだ3月11日に何が起こるかを知らない。黒木和雄監督の映画「TOMORROW/明日」の人物も、8月9日に長崎で何が起こるかを知らなかった。そして平成に生きる多くの日本人も明日自分に何が起きるか知らない。

 六日の菖蒲、十日の菊という言葉がある。違う意味で3月10日、8月5日、8月8日も日本人にとって特別な日になった。戦争中という非常時であっても、8月5日、8月8日には日本人の、一人ひとりの心の中ではたくさんの未来が、たくさんの希望が語られていたに違いない。

 3月10日は、平凡であってもたくさんの日常が明日も続くだろうとほとんどの人が信じていたに違いない。幸福な恋人達は明日のデートを約束して、眠れない夜を過ごしたかもしれない。あるいはケンカをした恋人達は、明日謝ればいいと思って眠りについたかも知れない。でも明日はやってこなかった。こんな理不尽なことが現実に起きることがあるのだ。

 私は、ギリシャ悲劇の作者のようには自分の「未来」を知ることが出来ない。私の残り少ない「未来」は、大きな試練を伴うものになるのだろうか。ぼそぼそと「つぶやく」私は、映画「TOMORROW/明日」の登場人物のように、自分に迫る過酷な「運命」に気づいていないのだろう。

 人間が避けることの出来ない津波、意志だけでは止めることの出来ない地震津波。やがては「あまちゃん」の世界を襲う大きな災害。「あまちゃん」の登場人物は3月10日の夜にいったい何を感じ、何を語り、どう生きているのか。目が離せない。