【団塊ひとり】具体的な経験に基づく地震対策が必要だ

 大きな地震について私が経験したのは阪神・淡路大震災くらいだ。それも震源地から少し離れていたので、震度はわずか4だった。それでも大きな衝撃を覚えた。すぐに知人の消息を尋ね、必要な日用品を持って行った。交通機関が大半は被害を受けていたので、何時間もかけて歩いて行ったことを覚えている。

 帰りには、今後の参考にしようと思って被災の建物を観察したり写真を撮ったりして帰って行った。が、その態度が不真面目に思われたのか何人かの人から罵声を浴びた。けっして興味本位に写真を撮っていたつもりはなかったのに、被災者にはそう見えたのだろう。
 
 東日本大災害の時、石巻にボランティアの真似事をしに出かけたときも写真をたくさん撮った。が、その時は誰も文句を言わなかった。むしろきちんと現実を紹介して欲しいと言われた。

 同じ震災の被害でも神戸と東北では、あまりにも違った。東北の被害はあまりにも規模が大きすぎた。そしてあまりにも徹底的だった。私の住んでいる場所では参考にならないほどの被害の大きさだった。  

 関東大震災で安全なはずの広場に逃げた4万人の人々がどうして焼け死んだのか、小さい頃はよく分からなかった。だが本を読んだり、TVの特集を見たりしている内に、被災者が避難するときに持って出た大八車の家財道具等に火が燃え移って火の海になったことを知った。今なら避難用の自動車に火が次々と燃え移るようなものだろう。

 又、大規模火災の際に発生する竜巻「火災旋風」の存在も知った。人間が火の竜巻に吸い込まれて空中に巻き上げられるなど想像も出来なかった。これではいくら広い広場に避難しても助からないと思った。これらは新聞などに載った被害者の経験談で知ったことだ。が、学校で震災に関してこれほど深い話を聞いた経験は無い。対策が必要だ。

 東日本大震災でもあの大津波に遭いながらほとんど死者を出さなかった学校がある。反対に70%もの児童が亡くなった学校も存在する。この際だった被害の違いはどこから来るのか。やはり普段の教育の差だったのではないだろうか。当たり前のことだが、防災教育は一般論ではなく、その地にあった具体的な避難計画と事前の訓練が必要だろう。失わなくても良い命を大切にしたい。