【団塊ひとり】園児送迎バス訴訟、園側に1億7千万賠償命じる判決は当然だ

「ただちに命を守る行動をとってください」。そう言われてどのような行動をとるか。その判断で生命が分かれる。釜石の子供達は教員の指示の無い状態で的確に行動し全員が助かった。が、石巻のある小学校では教師の指示に従って70%もの生徒が命を落とした。普段の教育や訓練そして指導者や管理者の能力がいかに大事かが分かる。

 自治体が災害、特に津波に対してどれだけ具体的なイメージを持っているかは案内表示などを見ればよく分かる。ある都市では至る所にここは海抜○○メートルです、という具体的な表示がある。が、ある町はただ「避難所」ですという標識しかない。3.11ではその避難所の多くが波に呑まれた。古い情報が改訂されないまま記載されている硬直化したハザードマップはかえって危険である。

 3.11ではマニュアルを守った結果生命を失い、とっさの判断でマニュアルを無視した集団が助かった例がある。もしマニュアルが机上の空論に等しいものであれば、世の中に与える弊害は法律よりも大きいかも知れない。マニュアルはどんなに優秀なものであっても、全てを網羅することは不可能だ。もし事細かく書きすぎると煩瑣になり、実際の役に立たない。優れたマニュアルは、「想定外のこと」が起きることを「想定する」マニュアルだ。しかしマニュアル化されると呪文のようにそれを信じてしまう人が出てくる。第一に規範であり、集団の行動に秩序が生まれるからだ。第二にマニュアルに従ってさえおれば自己の責任が薄まると錯覚してしまうからだ。

 3.11に発生した「事故」に対する園児送迎バス訴訟で園側に1億7千万の賠償を命じる判決が出た。当然である。判決で元園長の情報収集義務怠慢を指摘したことは当然だ。あの事件ではマニュアルさえも守られていなかった。むしろ裁判の前例主義に則って、賠償額が減額されたことに対して憤りさえ覚える。

【引用】 東日本大震災で、宮城県石巻市の私立「日和ひより幼稚園」の送迎バスが津波に巻き込まれた事故を巡り、死亡した園児4人の両親が園側を相手取り、2億6689万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、仙台地裁であった。

 斉木教朗のりお裁判長は「元園長が情報収集義務を怠った結果、高台から海側にバスを出発させ、津波被災を招いた。安全配慮義務違反による損害賠償責任がある」として、1億7664万円の支払いを命じた。大きな揺れが約3分続いたことなどから「津波は容易に予見できた」と判断した。(中略)
 判決によると、送迎バスは、地震発生から約15分たった2011年3月11日午後3時頃、園児12人を乗せ、高台の幼稚園から海側に向けて出発。7人を降ろした後、門脇小学校にいったん避難した後、園に戻る途中で津波に巻き込まれて横転、火災に遭って、園児5人と添乗していた女性が死亡した。運転手は被害を逃れ、幼稚園は津波を受けなかったが、今年3月、休園した。

 訴訟の最大の争点は、バスが津波に巻き込まれることを予見できたかどうかだった。

 園側は「予測不可能な異常な津波で引き起こされた不可抗力による事故」と主張していたが、判決は「最大震度6弱の揺れが約3分も続いており、地震震源地などによっては巨大な津波に襲われるかもしれないことは容易に予想され、ラジオや防災無線を正確に聴くべきだった」と判断。「報道では宮城県に6メートルの津波が予想されており、高台の幼稚園にとどまるきっかけとなる程度の津波の危険性を予見することは可能だった」と退けた。(後略)(読売新聞より)

 あの幼稚園のある日和山は、私の子供の頃の遊び場でもあった。その当時は津波など想定もしなかったが、2011年夏に再訪して、マニュアルまで無視してなぜこんな安全な高台から海岸に向かったのか、不思議でならなかった。管理責任者が、本来持たねばならない危機管理意識が完全に欠如していた罪は重い。

 私は今は大阪の一地方都市に住んでいるが、そこはたぶん津波の襲来は考えられない地域だ。が、3.11以後、車を運転するときは好きな音楽を聴くのを辞めて、ラジオをつけるようにしている。せめてもの自己防衛だ。

 しかし、ある外国が突然日本に電撃作戦をしかけてきた時に「ただちに命を守る行動をとってください」と「特別警報」で言われても、私には対応の方法が分からない。日本に多数潜入している工作員が、突然放送局や官公庁を軍事占拠し、各地の日本人を殺戮し始めた時に私は自分の命を守る方法を知らない。

 日本近隣諸国は、実質的に全て国民に兵役の義務を課す軍国主義国家だ。軍隊で彼等は銃や機関銃の使い方を学び、ナイフで敵のノドをかき切る訓練、つまり殺人訓練を受けている。が、日本人の大半は本物の銃を見たこともない素人集団だ。もし彼等が本格的に戦闘を仕掛けてきたら、日本人はあまりに無力だ。「友人」が突然「殺人者」に変わる事態は、平和に安住する日本人には想像することすら困難だ。

 例え望まなかっても、災害も戦争も「忘れた頃にやってくる」ものだ。日本は神国だ、神風は必ず吹くと思うのは自由だ。憲法9条さえ唱えておれば日本は絶対に侵略されないと信じるのも自由だ。しかし、3.11を見ても分かるように普段の意識・訓練の程度によって、そこから導き出される結論は大きく人間の運命を左右する。

 日本政府にはあらゆる事態を想定して、それに対処できる危機管理能力を身につけ国民を守る責任がある。