【団塊ひとり】NHK朝のTV小説「あまちゃん」と「ごちそうさん」

潮騒のメモリー」が伝えること

 NHKの新しい朝のTV小説「ごちそうさん」が好調だ。お化け番組とも言える「あまちゃん」の後なので、苦労するかなと思ったが「あまロス」を吹き飛ばすような勢いだ。朝のTV小説の王道を行くような脚本や演出も安心できる。ペットロスの解消法は新しいペットを飼うことだと、誰かが言っていたような気がするが「あまちゃん」には悪いが、「じいじ」もすっかり「新しい」世界に入り込んでしまった。

 「あまちゃん」がなくなった後の朝の私は、まさしく「親しい人」を無くしたばかりのなんとも言えない喪失感に支配されてしまった心境だった。8:00に異なる画面が出て強くそう感じた。城山三郎さん流に言うならば「そうか、もうあまちゃんはいないのか」だ。新しいドラマの主人公には申し訳ないが、しばらくこの気持ちは変わらないだろうと思った。

あまちゃん」は3.11の記憶を風化させない

 TV小説の直後に放映される「朝いち」のオープニングでも、話題はもう「あまちゃん」ではなく司会者の、新しい主人公への「かわいい」という賛辞になっていた。NHKの流れとしてはしかたないかも知れないが、この話題の転換の早さに古い私はついて行けないと思った。

 前回の「純と愛」は朝ドラの伝統を壊そうとして、返り討ちに遭った。「あまちゃん」はアキに代表される若者と母である「春」、そして祖母の天野夏(私と同年齢)との交流。そして何よりもニュース映像を使わずに3.11を見事に描ききった優れたドラマになっていた。いい意味でのNHK

 「あまちゃん」はさまざまな人間ドラマだったが、子供のころ石巻に住んでいた私にとっては、例え観光という形になっても、被災地の復興にとって明らかにその背中を押したドラマになっているのが何より嬉しかった。「あまちゃん」は3.11の記憶を風化させないだろう。

三島由紀夫の「潮騒」と「あまちゃん

 新しいドラマは昭和20年の大阪大空襲の焼け跡の場面から始まった。次に明治に場面が変わる。どうやら祖母の回想という形をとるようだ。生殖機能を喪失した「メス」が尊敬されるのは人間社会の長所。「あまちゃん」と同じように祖母の視点が一つのキーーワードになるのか。ある意味で「あまちゃん」と似た構想だ。そういえば「あまちゃん」で好演した俳優がさりげなく登場している。新しいドラマは、いい意味で前のDNAを受け継いでいる。

 「あまちゃん」はドラマの中にさまざまな仕掛けを持ち込んで、それが多様な解釈をうみ出すのも鑑賞の楽しみの一つだった。たとえば挿入歌「潮騒のメモリー」がそうだ。特に「三途の川」「マーメイド」から死を連想した人が多かったようだ。「マーメイド」は死の象徴、「三途の川のマーメイド」は不吉な未来を暗示していると多くの人が感じていたようだ。3.11が背景にあるので当然だろう。

 私は冒頭の「来てよ その火を 飛び越えて 砂に書いた アイ ミス ユー」という言葉が頭から離れなかった。「来てよ その火を 飛び越えて」は明らかに三島由紀夫の「潮騒」の健康的なパロディである。私も神島(小説では神島の古名である「歌島」になっている)の新治と初江が裸で身体を温め合うあの観的哨に行ったことがある。「その火を飛び越えてこい」と私に要求した女性はとうとう現れなかったが、あのシーンは清純な情熱を持った若者の心を表わしていて大好きな台詞の一つでもある。

 当時、小説の候補にあがった舞台はもう一つ石巻海上に浮かぶ島だったそうだ。三島が神島を選んだのはパチンコがない島だったかららしい。

 「潮騒」の主人公宮田初江も「あまちゃん」の天野アキも、ともに海女でありともに別の土地から「戻ってきた」存在だ。そして三島の「潮騒」はギリシャ的な「生の賛歌」とでも言うべき純粋さを示す小説だ。小説「潮騒」が新治と初江の二人の並び立つ姿で幸福な未来を暗示しているように終了しているように、「あまちゃん」も二人の未来を暗示する形で終わるのでは、という予想はあった。ただアキちゃんの相手が 浩一ではなく足立ユイだったことが予想外だった。

I
love you.と I miss you.


 もう一つ印象に残ったのは「砂に書いた アイ ミス ユー」という歌詞だった。団塊の世代にとって「砂に書いた」とくれば甘い歌声のパットブーンの「砂に書いたラブレター」(LOVE LETTERS IN THE SAND)だ。が、「潮騒のメモリー」では「LOVE」ではなく「MISS」が使われている。これには深い意味があるように思った。

 私は英語に詳しくはないが「MISS」は「LOVE」より複雑な印象を持つ。「I love you.」は単純に「私はあなたを愛している」だが、「I miss you.」にはもっと複雑な感情があるように思うからだ。単純に「愛してる」ではなくて「あなたが恋しい」「あなたに会えなくて寂しい」という、現在身近にいない対象や、失われた対象に対する切なる感情も含まれるからだ。求めても容易には得られない対象に対する想い。それが「I miss you.」ではないか。「あまちゃん」の世界は思った以上に深いかも知れない。

 そう思って「来てよ その火を 飛び越えて」という歌詞を口ずさんでいると、頭の中でいつの間にか「火」が「日」になっているのに気づいた。掛詞風に読めば「来てよ その日(3.11)を 飛び越えて」と解釈したっていいいのじゃないか。そう思うと「あまちゃん」がますます「被災地」への応援歌に思えてきた。「被災地」が早く「被災地」で無くなる「日」が来ることを願わずにはいられない。

 ともあれ新しい朝のドラマは「あまちゃん」の勢いをそのまま持って行ってるようだ。「あまちゃん 2」は作られるのか。それにしても能年さんはこれからが大変だ。小林綾子さんは結局「おしん」から抜け出ることが出来なかった。能年さんがどう成長して行くか楽しみでもありちょっぴり不安でもある。