【団塊ひとり】阿倍首相の靖国参拝の意義

 阿倍首相の靖国参拝に対してネット上では賛成の意見が圧倒的だ。ネット上の意見は偏ったもので信頼できないとする一部マスコミ人の批判があるが、NHK世論調査などでも母集団は1000人を少し超えたくらいだ。そのような少数で果たして国民全体の意見を代表していると言えるのか。少なくともネットの場合は数十万人単位の調査になる。無視できない数に違いない。

 靖国神社参拝に反対する人の多くは、東条英機などの「A級戦犯」が祀られている事を理由にし、参拝した阿倍首相を「軍国主義者」呼ばわりするが、とんでもない偏見だ。

 靖国参拝反対者の多くはアメリカのアーリントン国立墓地を理想視するが、アーリントンには南軍兵士も祀られていることを忘れている。南軍兵士は「奴隷制擁護」の旗印の下に北部と闘った。ではアーリントンに墓参するオバマ大統領は、奴隷制擁護論者と呼ぶべきか。もちろん誰も思わないだろう。

 「奴隷制擁護者」を祀ったアーリントンに参拝することが奴隷制容認にならないのだとしたら、靖国神社に仮に少数の「軍国主義者」が混じっていたとしても、それで阿倍首相を軍国主義者にすることは出来ない。問題はもはや論理では解決できないことだ。

 靖国参拝を理論で中韓に納得させることは不可能だ。かつてナチスを甘やかしてきた欧米諸国が、ナチスがその本性を現すまで目覚めなかったことを忘れてはならない。現代でも経済的利益を優先して、赤いナチズムと言うべき中国こそ平和国家と持ち上げる欧米の政治家さえいる。悲しいことだが歴史は繰り返されるのだ。

 アメリカも中国も日本が極悪人でなければ都合が悪い。極悪人相手でなければ原爆投下の正当性は揺らぐだろうし、中国も共産党による数千万人にのぼる国内での虐殺の理由を失う。日本を極悪人にしなければ自国政府に都合が悪いという点で米中韓などは共通利害を持っている。それを我々は忘れてはならない。

 Hiroshimaへの原爆投下は当時のアメリカ人の日本人に対するgenocide(ジェノサイド)的情熱によるものだ。それはAdolf Hitlerユダヤ人虐殺の情熱と変わりは無い。だから、もし日本が先の戦争に勝っていたら、原爆を投下した機長やそれを命令した指導者は、戦争犯罪人として吊されていただろう。もし前回の世界大戦で枢軸国が勝利していたなら、ニュルンベルグや東京での裁判の代わりにモスクワやニューヨークで戦争犯罪を裁く裁判が開かれていたはずだ。もちろんそれが「正しい」かどうかは問題ではあるが。

 アメリカ人の日本人に対するgenocide(ジェノサイド)的情熱が明確に分かるのは、ポツダム宣言受諾を表明し戦争終結の意志を日本政府が表明したにも関わらず、8月15日に埼玉県熊谷市に対する空爆が実行されたことである。降伏決定後の空爆は本当に必要だったのか疑問に思う。

 民主主義を尊重すると公言するアメリカや中国が平気でそれを踏みにじる。ウサーマ・ビン・ラーディン殺害に対しては、アメリカはパキスタンの主権を無視し、司法による処罰も考慮に入れず、始めから殺害を優先し実際に丸腰の相手を射殺した。これがアメリカという国の「民主主義」のもう一つの側面だ。オバマのもう一つの素顔だ。

 だがそんなアメリカとも協力しなければ今の日本は立ちゆかない。しかしそんな日本にしたのは、憲法9条を押しつけたアメリカだ。日本の真の独立を喜ばないアメリカにとって憲法9条改正は気持ちの良いものではない。憲法9条がある限り、日本はアメリカの支配から抜け出ることは出来ない。しかし経済的な理由からか、最近のアメリカは軍事負担を日本に肩代わりさせようとしているように見える。日本にとっては好機だ。

 一方、日本の領土搾取を狙う中国は、日本の一部のマスコミと協力して憲法9条の堅持を画策する。将来的に尖閣や沖縄の占拠を画策する中国にとって、軍事的に強大な日本は目障りでしかならないからだ。憲法9条を残し日本を弱体化させておく方が中韓には都合が良い。

 結局、日本政府は靖国参拝を自粛する方向ではなく、靖国参拝はアーリントン参拝と同じだという認識を貫くしかない。だから阿倍首相は、世界が納得するまで何度も靖国に参拝すべきと私は思う。そして参拝と同時に今回のような「恒久平和への誓い」を談話や書面の形で全世界に発信し続ける努力をすべきだろう。「従軍慰安婦」とかいわれのない非難から解放する努力をすることは、後世の日本国民に対する責務だと信じる。