【団塊ひとり】阿倍首相の靖国参拝 阿倍首相は大石内蔵助の精神を学ぶべきだ

 私には尊敬する日本人が二人いる。一人は平和時に「昼行灯」と軽んじられてきた大石内蔵助。もう一人は単純な玉砕を拒否して硫黄島の戦い(Operation Detachment)で予想外に米軍を苦しめた栗林忠道将軍である。両者ともに平時では目立たない存在だった。しかし非常時には今までに見せたことのない側面を発揮した。両者は共に自らの信念に殉じた「英雄」だ。阿倍首相にはぜひ彼等の精神を引き継いでもらいたい。

 今年も中韓、特に韓国は嫌がらせと言うべき執拗な日本批判をくりかえすだろう。執拗な批判をくりかえす原体験は、国を売った河野洋平との甘い関係が忘れられないからだ。阿倍首相は絶対に河野洋平になってはいけない。韓国やその意を受ける朝日新聞などがどんなに津波のような批判を浴びせても、大石のように泰然自若として信念を貫いて欲しい。しつこく繰り返せば妥協して自分たちの思い通りになるという中韓のあまい考えをたたきつぶす時が来た。

 東京裁判の結果に不正義を訴える人がいるが、敗戦とはそういうものだ。古代なら男子は殺されるか奴隷として売り飛ばされ、女性は性的な慰みものになった。「正義」がしょせん相対的なものである以上、紙の上の「正義」は峻烈な現実の前では全くの無力だ。観念的な憲法擁護論者はそこが理解できないのだろう。立場が異なれば原爆投下者やその命令者が戦争犯罪人として裁かれていたはずだ。

 「正義」が相対的なものにすぎないことを知っている賢明な国は、「敗者」を執拗に追い詰めることをしない。第一次大戦の後、もし戦勝国にわずかな謙虚さと知恵があれば二度目の世界大戦はなかっただろう。

 我慢できないのは「朝鮮系日本人」として連合国と闘った「朝鮮人」が敗戦後手のひらを返したように戦勝国気取りを始めたことだ。卑劣な彼等は「歴史」を認めたくないのだろう。

 パククネは口を開けば「正しい歴史認識」を口にするが、「日本人」高木正雄として、日本に忠誠を誓ったパククネの父親に代表されるように当時の「朝鮮人」は日本人と共に連合国と闘った「日本人」だ。そのことを無視しては戦後の歴史は成立しない。自分に不利であっても歴史の真実から目をそらす国は例え経済が一流でも、一流国と呼べないとはパクの口癖ではないか。それは韓国が大国に蹂躙された小国であるから免罪されるものではない。今年こそ韓国が早く「正しい歴史」に目覚めることを願う。

 日本の軍国主義化を一部のアジアの国が宣伝するが、日本が第一次大戦後のドイツになる可能性は少ない。一時は日本のカルタゴ化を狙った戦勝国アメリカが、その方針を転換して日本の再軍備を容認し、自分たちの一翼を担わせる決意をしたからだ。それは、かつてローマ軍が被征服者のガリア人に軍の一翼を担わせて軍を補強したことに似ている。むしろ第二次大戦を引き起こした「ドイツ」になる可能性は中国の方がはるかに高い。

 折も折、Record China が「英メディア」の指摘として、次のような文を載せている。

(引用)(ある英メディアが)「第一次世界大戦から1世紀たった今、世界の状況は大戦前の状況によく似ている」として、懸念を示した。記事によると、今の米国は当時の英国に似て、大国ではあるが世界の安全を保証する力はない。今の日本は当時のフランスのように、衰えた覇権主義国家と同盟を結び、自国の地域力は衰退の一途をたどっている。そして、中国は当時のドイツに似ている。振興する経済力や、怒れる民族主義の高まり、急速に拡大する軍事力など、一致する点は多い。(引用終)

 ベルリン五輪北京五輪。両者には多くの共通点があるが、特に私が懸念しているのは聖火リレーのコース取りだ。なぜ北京五輪の聖火が中国の公安部に囲まれて日本各地を回らねばならなかったのか。ベルリン五輪聖火リレーを利用して各国の情勢を探り、戦争準備をしたナチスの狡猾な行動を思い出す。

 皮肉なことに、日本の「再軍備」の契機は朝鮮戦争だ。中国や北朝鮮の侵略的な姿勢が戦勝国アメリカに日本の「再軍備」を決意させたのだ。日本の「再軍備」は日本の意志の結果ではなかった。

昨年阿倍首相は自らの公約を封印し靖国神社に参拝しなかった。が、それでも中韓の態度に変化はなかった。むしろ韓国などは日本の弱腰外交と錯覚して、ますます攻撃を仕掛けてきた。まさしく吉良の嫌がらせだ。日本はもう十分に耐えてきたのではないか。例えは悪いが「踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら・・・・」阿倍首相を始め日本の心ある政治家は、今年も靖国参拝を続けることだ。

 靖国神社参拝を首相の肩書きで実行し、安易に中韓にすり寄らない阿倍自民党。それは河野洋平がいたときの売国的で二枚舌の自民党時代とは明らかに異なっている。それをもし右傾と呼ぶのなら、それはあまりにも左傾化しすぎた戦後社会を、正常に戻す正しい「右傾」行動なのだ。