【団塊ひとり】河野洋平氏は積極的に国会の証言台に立って、「朝鮮系日本人慰安婦」に対する自己の「信念」を説明すべきだ。

 都知事選が終了した。都民は「妄想」ではなく、「現実」を選択したようだ。が、当選した候補を応援している団体の中には外国人参政権を認めている政党がある。複雑な気持ちだ。

 もし外国人参政権が認められたりしたら、東京中に怪しげな「売春婦像」が建つ事になる。アメリカの地方都市の出来事がそれを証明している。私は東京都民ではないので投票権はないが、もしあれば「外国人参政権」を容認する候補には絶対に投票しない。

 戦後70年の日本は、いま大きな転機点にさしかかっているのではないか。戦後すり込まれてきた知識を鵜呑みにしてきた状態から抜け出なければいけない潮目にいるのかも知れない。その為には、「靖国参拝」や韓国の「慰安婦報道」に対する日本の反論が、軍国主義とは無関係であることを根気強く世界に発信していくことだ。反論すら許さない社会こそ全体主義と言わねばならない。

 NHKは佐村河内氏の「虚偽」をどうして確認できなかったのだろう。私もNHKの番組に「洗脳」され、すっかり騙された一人だが、少し確認すればNHKゴーストライターの存在に気づけたのではないか。楽譜の文字、作曲している姿、あるいは読譜能力から確認できたはずだ。

 しかし「本当の作曲者」によると、佐村河内氏は曲のできばえ確認を「楽譜」ではなく「テープ」で行っていたそうだ。だとすれば全聾であることすらも極めて疑わしい。NHKの番組で放映された、神経を脅かすほどの苦痛とそれに耐える姿は、曲に対する質問と自分に対する疑惑を避けるための演技だったとしたら極めて悪質だ。

 NHKとは異なり、すでに佐村河内氏に対する疑惑を述べていたマスコミはあった。「被爆二世」「全聾の作曲家」「現代のベートーベン」などの「殺し文句」にとらわれないで「真実」を見抜く力を持った人たちもいたのだ。

 事実ではなく、ある目的を持った「ストーリー」によって作られた「物語」はほかにもあるのではないか。例えば日本のマスコミが火を付け韓国が拡大再生産している「慰安婦報道」。この報道に対しても「佐村河内事件」と同様に、すでに疑惑を感じている報道機関もある。真実はどこだ。

 何が真実で、何が真実でないかは実際に体験していても容易には分からない。まして、直接経験してはいない「事実」を想像だけで作り上げた反日本『ザ・レイプ・オブ・南京』は危険だ。著者の中国系アメリカ人作家アイリス・チャンは30代半ばという若さで自家用車内で拳銃自殺した。私には良心の呵責に耐えかねた結果だと思われてならない。

 今の日本はおかしい。オスプレイを撮影しネットで流せば逮捕されるという「妄言」を国会議員まで言う日本だ。中国や南北朝鮮と異なり、言論の自由が比較的確立されている日本ではNHK朝日新聞が垂れ流す「記事」もそれだけで公に弾圧されることはない。が、「偏向」が大部分を占めそこに「真実」が含まれていない報道、一方だけを過大に評価する報道は、果たして「報道」に値するのか。

 多く存在する「問題」の中でも、後世の日本人のために、解決しておかねばならないのは「河野談話」の正当性だ。特に「河野談話」が作られ報道された経緯だ。河野洋平は国会に出て「経緯」を証言すべきだ。

 証言を避ける河野洋平は何を恐れているのだろう。河野洋平が自己の「河野談話」を撤回しないことによって、右翼に暗殺される確率と、「河野談話」発言を撤回することによって安重根のようなテロリストに暗殺される確率とどちらが高いだろうかとか、まさかそんな事を考えているわけではあるまい。

 河野洋平氏は積極的に証言台に立って、自己の「信念」を説明すべきだ。