【団塊ひとり】報道の責任 佐村河内の嘘を見ぬけなかったNHK

 佐村河内氏についてさまざまな証言が出ている。多くが疑惑を感じていた、という類の発言だ。「疑惑」を感じていたならなぜ?と突っ込みたくなるが、「成功」している人間に対して「足を引っ張る」ようなことは出来なかったと答が返ってくる。難しいところだ。

 佐村河内氏の妻の母親の発言には心が痛む。ゴーストライターであることを告白した新垣隆氏に対しては「感謝しています。勇気のいることだったと思う。会ってお礼を言いたい」と述べたそうだ。疑惑を持ちながらも自分から言い出せなかった苦悩の果ての発言だ。何しろ彼は娘の夫なのだから。

 「被爆二世」「全聾」「現代のベートーベン」という「呪文」の前には多くの日本人は無力だ。なぜかこの「呪文」の前では日本人は冷静な判断が出来ないようだ。佐村河内がそれを計算していたとすれば悪質だ。ところが、今回はNHKという大マスコミをはじめ民報を含む多くのマスコミが率先して、そのイメージを拡大するという役割を担った。世紀の大誤報

 まさかマスコミが「嘘」を知りながらプロバガンダ的報道をしていたとは思えない。だが、「嘘」を見抜くことが出来ず、結果として協力している事はないだろうか。あの「オウム」教団ですら最初は好意的な報道をしていたマスコミがあったことが思い返される。

 NHKスペシャルを見た友人が、「この人××に似ている」と言った。××はカルト教団の教祖だ。不謹慎にも私もそう思ったが、CDを購入した。「被爆二世」「全聾」「現代のベートーベン」という「殺し文句」に影響を受けたからだ。CD購入は私には「作曲家」への生活支援の意味もあった。それほどNHKの番組が与えた影響は大きい。

 作曲家の仮面ははがれたが、どうやら「全聾」にも疑惑が生じているようだ。佐村河内の問題は生活保護不正受給問題にも共通する「何か」があるのではないか。障害者認定の手続きも含めて、徹底した解明が必要だ。

 うさんくさい「オウム」に好意的な記事を載せた雑誌を私は今も「記念」として持っている。その雑誌は今や反「オウム」の立場だ。が、なぜ好意的に報道したかの検証はなされなかったように思われる。七〇年前の戦争と同じで、悪いのは「一部の軍国主義者」で自分たちは被害者だといわんばかりの姿勢。

 (朝鮮系日本人)「慰安婦」を取り上げるマスコミは、朝鮮人の女衒に買い取られた大和系日本人慰安婦の実態は報道しない。なぜなのか。もし正しく検証しようとすれば、国の内外から激しいバッシングを受けるからか。

 新しい事実が出てくれば今までの結論が覆ることは科学では常識だ。IPS細胞やSTAP細胞の発見は「常識」や「定説」を疑うことから始まった。「慰安婦」については、客観的な歴史的検証すら許されない理由は何か。

 かつて地動説を主張したガリレオが、教会の圧力に屈して自己の意見を撤回した後に「それでも地球は回っている」と述べたという伝説がある。そして「伝説」はやがて「真実」になった。現代の「慰安婦」問題に対するバッシングは現代の「宗教裁判」なのか。「真実」を求める努力が必要だ。

 「真実」を明らかにする手段としてアメリカなどで行われている「証人喚問」は有効な方法だ。ところが自民党河野洋平氏の証人喚問を拒否。自民党は何を恐れているのだろうか。