【団塊ひとり】「アンネの日記」に対する冒涜 反ユダヤを隠れ蓑にした「反日行為」

 都内の図書館で「アンネの日記」や関連書籍のページが破られる被害が相次いでいる。米国のユダヤ人人権団体が「衝撃と深い憂慮」を覚えたのは当然だ。が、いまのところユダヤ人人権団体は日本を非難する談話を発表してはいない。当然だ。もし、日本人の間に反ユダヤ主義があれば初めから図書館に大量の「アンネの日記」や関連書物の配架はしない。学校で学ぶこともない。日本中の多くの人たちがアンネの生き方に共感しない。

 私はアメリカの慰安婦像問題では、日系人ユダヤアメリカ人の助力を求めるべきだと思っていたので、それに水を差すような出来事だ。だからこの事件は日本の評価を落とそうとし、日系人ユダヤ系とを連係させないようにとする陰謀のような気がしてならない。

 韓国などは日本を戦前のナチスと同様と宣伝するが、日本はドイツと同盟を結んだもののナチスのようにはユダヤ人を差別しなかった。それどころか、ナチスの要望にも関わらず、レオ・シロタなど多くのユダヤ人を保護し、職を保障している。そして多くのユダヤ人が日本経由でアメリカに渡っている。多数のユダヤ人を助けた日本人、センポ・スギハラ(杉原千畝)の存在はユダヤ社会でも広く知られている。ユダヤ人を助けたのはセンポ・スギハラだけではないことも知られている。

 ユダヤ人に対して日本は保護こそすれ、ナチスのような強制収容所は作らなかった。だからユダヤ人人権団体も日本を非難しないのだ。もちろん日本は当時においても朝鮮系日本人の強制収容所なども作らなかった。韓国の同胞北朝鮮が外国人を拉致し、国民を強制収容所に押し込め殺害していることとは明らかに異なる。それどころか、かつての日本は朝鮮系日本人も日本人と同様に扱っている。現韓国大統領パククネの父親が高木正雄という「日本人」として日本の陸軍士官学校を卒業しているのがいい例だ。この点で、「親日」であることを理由にして、国家的な政策として弾圧する韓国の方が、当時のナチスに近いといわざるをえない。

 「日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったか」の著者ハインツ・E・マウルは書籍の中で次のように述べている。「日本では争いを避け調和を図るのが美徳なので、反目をしいるナチの宣伝は非日本的なのだった。」

 「日本の将校は残虐な行為も行うし、野蛮な行動もみられるが、ナチスの殺人者とは比べものにならない。・・捕虜や占領地の住民を虐待したりそれを黙認したりすることはあるが、それは大抵その場の激情にかられたもので、悪魔的な大量殺戮計画の一部であったためしはない。たとえ自分の民族の優越性を確信していたとはいえ、ナチスのように他の民族を抹殺することでそれを立証しようとはしなかった」(ハイマン・クブリン)

 「ナチス時代の日本人にとって、ユダヤ人はどこからか来てどこかへ去っていく外人なのだった。日本と日本人にとって、ユダヤ人は、外国人が常に日本にとってそうであったしそうであり続けるべきもの、即ち通り過ぎる旅人なのであった。」(マウル)

 日本人はナチスのようにユダヤ人を特殊で排斥すべきものとは見なかった。これは当時の朝鮮系日本人にも適用された。ユダヤ人を排斥せず、朝鮮人を受け入れた精神こそ、当時喧伝された八紘一宇の精神だった。もっとも八紘一宇など、今の若い人は意味はもちろん読むことさえ出来ないはずだ。仮に知っていても軍国主義のスローガンくらいにしか思わないだろう。

  私はアメリカの慰安婦像問題は明らかに日本人の信用を落とすための人種差別的な行為であると思っているので、日系人は同じように差別経験のあるユダヤアメリカ人の助力を求めるべきだと思っていた。繰り返すが、今回はそれに水を差すような出来事だ。

 「アンネの日記」を破壊する行為は、一見反ユダヤ主義者の行為のようだが、実体は日本とユダヤ人を離間させようとする明かな反日主義者の行為と思われる。日本を心よく思わない勢力が日本人とユダヤ人とを「離間」させようと図っている。離間策を常套にする「孫子の兵法」の稚拙な応用だ。犯人は反日日本人か、それとも反日外国人か。いずれにしろ警察当局は図書館員による内部犯行の可能性も含めて厳密な捜査を実施すべきだ。