【団塊ひとり】明日、3度目の3/11がやってくる。

 明日、3度目の3/11がやってくる。子供時代石巻に住んでいたことがあった。だからTVが伝える石巻や東北の惨状はとても人ごととは思えなかった。無駄と思ってもすぐに電話をかけてみた。もちろん繋がらない。そのうち避難所にいる人たちの名簿がネットで公開されていると知って、PCの前に釘付けになった。もうすぐ古希の爺さんが、それでも必死になってネットの情報を探した。

 私は、若者のようには要領よく探すことが出来なかった。私が調べた範囲では、写真による画像やPDFで名簿を掲載しているものが多く、テキストで検索が出来ないため知っている人の名前を目で追って探すのが大変だった。そのうち私の近くにいる若者が、掲示板のようなものから同名の人間を何人かピックアップしてくれた。当てはまりそうな人にメールを出して、やっと本人を捜し当てることが出来た。孫が安否情報を提供していたのだ。この時ほどネットの力を感じたことはなかった。人と人とのつながりを感じたことはなかった。知人は間一髪、難を逃れていた。

 災害の年に、被害者の冥福と、町の復興を祈願する花火大会が石巻で開かれることになった。私は当然参加した。町の人と同じ時間を共有したいと思ったからだ。石巻では旅館が取れなかったので仙台にとまることにした。最終電車に乗るためには、花火大会を最後まで見ることは出来ない。私はそれでも花火が打ち上がるのを見たかった。町の人と一緒に見たかった。

 私が小学生の時に、父に連れて行ってもらった北上川の花火大会は、半世紀以上もたつのに、今でも父の面影と共に心に焼き付いて離れない。花火はその「はかなさ」によって、むしろ形あるものよりも強く人の心に残る。私にとって花火大会は、半世紀前に亡くなった父の思い出そのものだ。同時に石巻市の歴史が途絶えることなく続いているという証そのものだ。「被災地」であるからこそ、困難な時であるからこそ「花火大会」を実行する意味があるのだ、と私は強く思った。

 かつて父とともに見た「たわらや」という店はなかった。私はその店の跡に座って、花火を眺めた。想像以上に人が多く、身体が触れあうほどだった。キリスト教の説経か、「悔い改めよ」とスピーカーで演説をしている若者がいた。誰も話を聞いていないように感じられた。「津波」が神による天罰などであるはずがない。

 瞬間に散ってしまう花火。しかし、それ故にこそ人々は花火の打ち上げられた夜をいつまでも記憶するだろう。そして「はかない花火」は、石巻市の復興に向けての記念すべき、「心のモニュメント」として記憶され、いつまでも語り継がれるだろう。私は石巻の人々と過ごしたあの夜のことを一生忘れないだろう。

 今日もどこかのTVで震災の特集をしている。話をしていて突然泣き出す人。とても見てはいられない。11年の7月。電車が松島に近づいたとき突然涙が止まらなくなった。声を殺して顔を伏せ電車の中で身体を震わせて泣いた。知人は一人も亡くなっていなかったのに。父が亡くなってもう半世紀になるのに、今でも涙ぐむことがある。目の前で肉親を流された人にとって、3年の月日で傷が癒えるはずがない。

 「被災者」にインタビューする人間の言葉の雑さに怒りを覚える時がある。かつてニュージーランド地震で足を切断した学生に発したフジTVのOアナの「もうサッカーは出来なくなりますね。」という発言。この無神経な発言には、さすがに海外からも非難が殺到したという。

 11年3月の読売新聞の編集手帳で紹介された言葉は、今でも心に残っている。「将来、何をしたい?」。80歳の祖母を守り抜いた高校1年生の阿部任さん(16)を発見・救出したとき、県警の石巻署員は衰弱した任さんに尋ねたという

 「もう大丈夫だ…助かったぞ…生きているんだ…がんばれ…もろもろを込めた「将来、何をしたい?」であったろう。語り口は世間話のように浅く、思いやりは深い。任さんは「芸術家になりたい」、そう答えたという。(編集手帳)。何と優しい言葉だろう。

 人が発する言葉はこうでなければならない。人の発する言葉には相手を気遣う、思いやりの気持ちが入っていなければならない。被災地の惨状を報告するマスコミの仕事は大切なものだ。が、客観的な報道に徹するあまり、人の気持ちを理解できなければ、客観性は冷酷さと紙一重になる。マスコミ人はそれに気付いているだろうか

 ほとんどの生徒が助かった学校がある。それに対して多くの生徒が亡くなった大川小学校の例がある。TV報道を見ている限り大川小学校の生徒達は教師に「殺された」という気持ちが強くなってくる。まさかここまで津波は来ないだろうと、想定外を想像できない頭ほど恐ろしく危険な物はない。平常時には軽んじられている本能を、私たちは軽く見過ぎているのかも知れない。

 3/11の「惨事」は過去の経験や思い込みに縛られることがいかに危険であるかを教えてくれた。××を守っていれば大丈夫、そんな考えが通用しないことがあることを教えてくれた。ハザードマップの記述通り校庭に避難し、マニュアル通りに行動したにも関わらず、「想定外」の津波は襲ってくる。「想定外」の事態を「想定」しておくことが大切なのだ。