【団塊ひとり】 大阪市長選挙 民意とは何か。

 「民意」とは何か。多くの辞書には「人民の意志」と書いてある。では「人民」とは何か、と尋ねられたら勉強不足の私は正確に答えられない。「人民」は「中華人民共和国」の中にも存在している。「人民」とはいったい何者なのか。

 大阪市の出直し市長選で前職の橋下徹氏が、他の候補者を圧倒する票数で「勝利」した。しかし、投票率が23.59%と過去最低だったため、橋下氏の勝利は「民意」を反映したものではないという批判が止まない。一見まっとうなようだが、巧妙なすり替えが行われている。

 投票率の高さで言えば北朝鮮の選挙では、常に100%に近い投票率だ。フセインが支配していたイラクもそうだった。党が推薦した候補者は全員当選する。だから50の選挙区があれば50人の「候補」が出馬し、全員が通る。実に「効率的」だ。が、対立候補のいない選挙など日本人の感覚からはどうしても人工的で異質なものに思えてしまう。橋下氏に反対する人の多くは、きっと北朝鮮イラクの「効率的」な政治体制が理想なのだろう。だが私には、金正日フセインが「民意」を代表していたとはとても思えない。

 今回の大阪市長選は投票率が低く、今回の橋下氏の得票数377472票は前回の約75万票から半減しているが、平成19年の当選者の367058票、平成17年の278914票を超えている。

 今回の橋下氏の得票数が民意を反映していないとしたら、前2回の当選者の民意の支持度が橋下氏を上回っているとは言えない。

 投票率の低さは橋下氏だけの責任ではない。敗北をおそれるあまり野党が選挙から逃げたことも一因だ。むしろ投票率の低さ、無効票の多さの中であれだけの票を獲得したことが驚きだ。「民意」を得ていないと断定することは困難だ。重視されるのは投票率か、それとも得票数か。

 民意とは何か。民意には何らかの正統性が必要だ。橋下氏との対決をさけた野党に正統性があるとは思えない。橋下氏は毀誉褒貶の多い政治家だ。が、それだけ本音で行動しているように思える。好き嫌いが分かれるだろうが、大阪市の住人が見放しているとはとても思えない。

 私には市役所に勤めている幾人かの知人がいる。彼等に言わせれば橋下氏が就任する以前の「自由さ」は新聞報道の比ではなかったそうだ。橋下氏の就任で多くの利権や特権が失われた。私は市や市の職員の持つ利権や特権を解体し、無駄を無くすことが「都構想」の目的だと思っている。

 都構想の理念や目的が十分に伝えられていないところに問題がある。マスコミの報道姿勢にも問題があるが、橋下市長側にも問題がある。早口で一方的に自説を述べるのではなく、もっとこまめに市民との対話を重ねるべきだ。そうすればもっと橋下氏の考えは理解されていくと思う。

 反発しながらも、私が橋下氏に期待を寄せるのは、橋下氏が理想実現のために自らを降格して、大阪市長選に臨んだ姿を見たからだ。今まで、そのような政治家はいなかった。欠点があるにも関わらず橋下氏を応援する私の理由だ。

 私は大阪市民ではないが、橋下市長が市政に復帰後も市議会と市長が感情的に対立し、難しい議会運営が続くなら市民にとってこれ以上の不幸はないと思われる。